大東水害訴訟最高裁判決の理論では事実的因果関係が立証できない(鬼怒川大水害)その2

2019-10-03

●賠償責任が成立するには営造物の瑕疵と損害発生との間に因果関係が必要だ

他方、営造物の瑕疵と損害発生との間の事実的因果関係は、営造物責任の成立要件のはずです。

なぜなら、国家賠償法第2条第1項には、「瑕疵があつたために他人に損害を生じたときは」と書いてあるからです。

大浜は前掲書p445において、国家賠償法第1条(公権力の行使に基づく賠償責任)における因果関係について次のように説明します。

国家賠償責任が成立するためには、加害行為と損害発生との間に因果関係(Aという原因がなければ、Bという結果は生じなかったという因果律)がなければならない(これを「事実的因果関係」という)。事実的因果関係を前提にして、損害賠償の範囲を定めることが相当因果関係の概念であるとされてきた。

ところが、大浜は、「営造物の設置管理にかかる賠償責任」(国家賠償法第2条関係)の解説(p450〜)の中では、営造物の瑕疵と損害発生との間の因果関係について、なぜか言及がありません。

結論から言えば、瑕疵判断の対象を「改修計画の格別不合理性」(大浜は「改修計画の内容が著しく不合理な場合」(前掲書p473)と表現する。)であるとした場合には、以下のとおり、事実的因果関係の立証が不可能になることに気づいているかのようです。

●事実的因果関係の有無はどうやって判断するか

上記の「事実的因果関係」は「自然的因果関係」とも呼ばれていますが、責任を負わせることが妥当か、という観点からの評価なので、法的な概念であると言われています。

論理学を勉強したことはありませんが、常識的に考えて、「あれがあったからこれがあった」という因果を証明するためには、その裏命題である「あれなければこれなし」と言える必要があります。

諫早湾干拓事業問題で言えば、「潮受け堤防の閉鎖以来、漁業被害がどんどん酷くなっており、その原因は諫早湾の干潟が失われたためである。」(Wikipediaから)という主張が正しいと言えるためには、「潮受け堤防を開門して干潟を取り戻せば、魚介類が増える」という裏命題が正しいことを証明する必要があります。(この裏命題の論証をさせないために、国は何としても長期開門試験をさせないように画策しています。)

加賀山茂・明治学院大学教授は、事実的因果関係について次のように説明しています。

http://lawschool.jp/kagayama/material/civi_law/contract/obligation/presentation/2015/2015a/07NonPerformance/indices/index13.html

■因果関係の証明は,以下のように,2段階でなされるのが普通です。 第1段階は,事実的因果関係です。これは,「あれなければこれなし」という法理に基づいています。 第2段階は,事実的因果関係は,広がりすぎることがあるため,それを制限する法理であり,法的因果関係とか,相当因果関係とか呼ばれています。

■相当因果関係は,不法行為だけでなく,債務不履行の場合にも使われるため,条文上は,債権総論の民法416条で規定されています。 事実的因果関係は,「あれあれば,これあり」という因果関係の証明が困難なため,その裏命題,または,逆命題である,「あれなければ,これなし」という考え方を採用するものです。 ラテン語では,これを「シネ・クア・ノン」と呼んでいます。

■ 論理学的には,(AならばB)といいう命題を証明するために,(ノットAならばノットB)を利用するのですから,正確な論理ではないのですが,原因が一つであることがわかっている場合には,論理的にも正しく,かつ,有用です。


http://lawschool.jp/kagayama/material/civi_law/contract/obligation/presentation/2015/2015a/07NonPerformance/indices/index14.html

事実的因果関係の判断基準である「あれなければ,これなし」というのは,厳密には,どのような判断基準なのでしょうか?

■「あれなければ,これなし」という判断基準は,「Aという原因からBという結果が生じた」という因果関係を証明したいが,それを直接に証明することが困難な場合に,

■その問題を証明しやすくするために,命題を変更して,「もしも,Aを取り除いたとして,その場合にBが成り立つかどうか」を考えます。

■「もしも,Aを取り除いても結果Bが生じるならば,Aは,結果Bの原因とはいえない」と判断します。反対に,

■「もしも,Aを取り除くと,結果Bが生じないのであれば,Aは,結果Bの原因である」と判断するというものです。

■推論すべき命題を摩り替えているのですから,それがうまく機能するのは,「AならばB」であり,かつ,「BならばA」が成り立つという場合,すなわち,結果に対する原因が一つである場合に限定されます。

■その前提が崩れて,原因が複数ある場合には,因果関係の判断基準として「あれなければ,これなし」を使うと,とんでもない誤りに陥ります。


http://lawschool.jp/kagayama/material/civi_law/contract/obligation/presentation/2015/2015a/07NonPerformance/indices/index17.html

事実的因果関係の「あれなければ,これなし」という判断基準は,「もしも原因と考えられる事象がなかったとすると,結果は生じただろうか?」という仮説を立て,もしも,原因と考えられているものを除去すれば,結果が生じないようだったら,それが,結果の原因と考えるという思考方法でした。

■この思考方法の第1の問題点は,さきにのべたように,原因が複数の場合には破綻するというものでした。

■この思考方法の第2の問題点は,科学的な実験にはなじまないという点です。

裏と逆は違うと思いますが、それはともかく、事実的因果関係の認定の仕方については、上記を読むと、ある程度分かると思います。

実際、裁判所も裏命題を検討する方法で事実的因果関係の有無を認定しています。

石橋秀起「営造物・工作物責任における自然力競合による割合的減責論の今日的意義」という論文がp197で鹿児島地判1978年11月13日判時939号90頁から次のように引用しています。

(1972年の)梅雨の時期までに新堤防の未施工区間が完成しないことを知りながら,旧堤防の効用はないとの独自の判断に基づいて,これを掘削・除去した点を捉え,Yの管理瑕疵を肯定した。そして,瑕疵と本件水田被害との因果関係については,「旧堤防が存在しておれば・・・本件のような大きな被害を生ずることはなかったであろうことが認められる」として,これを肯定し・・・

つまり裁判所は、「河川管理者が旧堤防を撤去したから大きな損害が発生した」という原告らの主張に対して、「旧堤防が存在しておれば・・・本件のような大きな被害を生ずることはなかった」と裏命題を述べて事実的因果関係を認定しました。

ただし、論文の著者は、「(現実の被害状況と)旧堤防が存置された場合の被害状況との比較はなされておらず,瑕疵により損害の拡大が生じたといえるのかどうかは,明確にされていない。」(p198)というのですから、それが事実だとすると、鹿児島地裁の事実認定の仕方には問題があったようで、参考例として挙げるには適切でない事案だったかもしれませんが、それはさておき、考え方としては、「裏命題が成り立つか」で事実的因果関係があるかを判断する作業が裁判実務でも一応は行われているということが分かります。

●改修計画が格別に不合理であるという瑕疵と損害発生とを事実的因果関係で結びつけることはできない

以上見てきたように、大東水害判決は、「改修計画が格別不合理であるか否か」が原則的な瑕疵判断の基準であると実務でも一部学説でも解釈されています。

つまり、「改修計画が格別に不合理である」と認められれば瑕疵があるというわけです。

そして、賠償責任が成立するためには、この瑕疵と損害発生の間に事実的因果関係が認められることも必要です(国家賠償法第2条第1項)。

したがって、原告は、「本件改修計画が格別に不合理であったから損害が発生した」と主張・立証しなければなりません。

そのためには、その裏命題である、「本件改修計画が格別不合理でなければ損害が発生することはなかった」が正しいことを論証しなければならないかというと、実務では必ずしも厳格なチェックをしているわけではなさそうですので、致命的に重要な問題ではないかもしれませんが、理論的には、改修計画の格別不合理性を瑕疵と解する説は、上記裏命題の論証ができないことが大きな欠陥だと思います。

一般論で言えば、日本の河川のほとんどは改修中の河川であり、その改修計画が格別不合理である場合は、滅多にないのだと思います。

それでも、毎年多くの河川で水害が発生しています。不可抗力と言うべき大洪水による場合を除いたとしても、相当数あると思います。

大東水害以降、これまでに提起された水害訴訟の事案のほとんどが、改修計画が格別不合理とは認められない場合であるにもかかわらず、水害が発生した事例でしょう。

つまり、改修計画が格別不合理と認められる場合でも、認められない場合でも、水害は起きるのであれば、改修計画が格別不合理と認められない場合なら水害は起きない、とは言えません。

●鬼怒川大水害訴訟で考えてみる

上記のことを具体的に鬼怒川大水害訴訟に当てはめて検討してみましょう。

行政機関が行う政策の評価に関する法律が2002年に施行されたことにより、鬼怒川の河川改修事業についても事業評価が実施されており、2015年9月の鬼怒川大水害の前までに、2002年度、2007年度、2011年度及び2014年度の4回実施されました。

当該事業評価を実施するために国土交通省は、2007年度までは「鬼怒川改修事業」と、2011年度以降は「鬼怒川直轄河川改修事業」と題する資料を作成しました。

2011年度からは、資料に事業位置図を示して改修工事の緊急性について3段階のランク付けをするようになりました。

3段階とは、「当面7年間で整備する区間」、「概ね20〜30年間で整備する区間」及び「整備しない区間」です。

2011年度鬼怒川直轄河川改修事業のp8に「今後の改修方針」として改修工事の緊急性が次のとおり図示されています。

今後の改修方針


溢水が起きた若宮戸地区と破堤があった三坂町地区のランク付けは、下図のとおり、若宮戸地区は「整備しない区間」に、三坂町地区は「概ね20〜30年間で整備する区間」に位置付けられました。

ちなみに、若宮戸地区は、「本設計対象の1.35km区間は、鬼怒川の河道計画において地山を生かした現況のままとする区間に位置付けられており、基本となる堤防法線形が決まっていない状況であった。」(2003年度若宮戸地先築堤設計業務報告書、サンコーコンサルタント株式会社)のです。

改修計画の格別不合理性を瑕疵判断の対象と考えると、原告らとしては、上記2箇所のランクを「整備しない区間」と「概ね20〜30年間で整備する区間」としたことは、国が危険性や緊急性を見誤って計画を立てたのであり、2011年度鬼怒川直轄河川改修事業という名称の改修計画は格別に不合理であり、そのことが瑕疵だ、と主張することになります。

この主張を論証するためには、「もしも2011年度鬼怒川直轄河川改修事業という改修計画が格別不合理でなければ水害は起きなかった」と言えなければなりません。

なので、下の対比表のように、仮に国が2011年度鬼怒川直轄河川改修事業において、若宮戸地区と三坂町地区を「当面7年間で整備する区間」に位置付けていたとします。

ランク表

上記2地区を最優先のランクに位置付けたのですから、もはや「改修計画が格別に不合理であった」とは認められないはずです。

では、改修計画が格別不合理とは認められないのなら、水害は起きなかったはずだ、と言えるのかというと、言えません。

なぜなら、改修工事の優先順位を変えただけでは、河川の状況は変わらないからです。実際に河川が改修されなければ、安全度は上がりません。

●「改修計画及びその実施状況が格別に不合理か」という基準だとしても裏命題の正しさは論証できない

大東水害判決には、表現がぶれているところがあり、本稿の冒頭の引用部分では「右計画が全体として右の見地からみて格別不合理なものと認められないときは」(p5)という表現ですが、事案の具体的検討に入ってからは、「改修計画及びその実施の状況」(p8)とか「全体の改修計画及びその実施の全体的な合理性の問題」(p9)とかの表現が出てきて一貫性がありません。

確かに、「及びその実施の状況」が付加された改修計画の格別不合理性となると、それが付加されていないものよりも国にとって厳しい基準にはなります。

「改修計画及びその実施の状況が格別不合理でなければ、水害は起きなかった」と言えるでしょうか。

鬼怒川大水害の例では、水害が発生した危険箇所を最優先のランク(7年間で整備する区間)に位置付けたとします。たまたま実際に当該危険箇所の工事を最優先で実施した場合には、確かに、水害は起きなかった、と言えるでしょう。

しかし、当該危険箇所の改修工事を最優先で実施しなくても、「改修計画及びその実施の状況が格別不合理」だと評価されるとは限りませんから(そもそも「格別不合理」の判断が衆目の一致するところでなされるわけではなく、裁判所の心証で決めるのが実情ではないでしょうか)、大洪水が来れば水害が起きることは、「改修計画が格別不合理でなければ」を検討する場合と同じです。(ちなみに、当該危険箇所の工事を最優先で実施しなければならない場合は、特段の事情が発生した場合であり、「改修計画の格別不合理性」という基準の適用はありません。)

したがって、「改修計画及びその実施の状況が格別不合理でなければ、水害は起きなかった」とは確率的には言えても、確定的には言えません。つまり、裏命題が成り立ちません。(続く)

(文責:事務局)
フロントページへ>その他のダムへ>このページのTopへ