結論から言って、私は、L18.50k〜21.25kの堤防高は、次のように変遷したと考えます。破堤時の状況と築堤義務発生時期の根拠を示す図面として不可欠だと思います。
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2005年度
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2011年度
原告側は、2005年度と2011年度の縦断図を次のとおり示しています。
2011年度縦断図については、範囲がL20.00k〜22.00kであり、範囲がずれますが、注目してほしいのは、破堤区間であるL21.00k付近であり、堤防高が2005年ではV字型で、2011年度ではW字型で、連続性がなく、これで裁判所が状況を理解できるのか、という話です。
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2005年度
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2011年度
今回記事は、決壊地点の堤防の舗装面の高さは計画高水位以下だった(鬼怒川大水害)及び計画高水位より低い堤防は欠陥堤防ではないのか(鬼怒川大水害)の続編です。
破堤地点に含まれる距離標地点であるL21.00kの天端の舗装面の高さは、2006年時点でY.P.20.84mしかなく、計画高水位20.830mより1cm高かっただけだったことを書きました。
その根拠は、「中三坂地先測量及び築堤設計業務報告書」(2006年3月、共和技術株式会社)でした。
当該業務の目的は、L18.50k〜21.25kの区間の築堤のための測量及び築堤設計でした。
堤防の法線形を示すために、p2−19〜p2−26に次のような図面を載せています。
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現況堤防の天端の舗装面には、次のような数字が書かれています。
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凡例がないのですが、舗装面の標高を示しているとしか思えません。
舗装面に書かれた数字は極めて小さいのですが、今回、上記6枚の図面から読み取ってグラフ化したものが下図です。
ただし、判読不能だった数字があります。また、無堤防区間については、読み取っていないので、L19.25k〜19.50kの間が詰まっています。この無堤防区間は中三坂の河畔砂丘がある区間です。
測点の選定基準に明確な法則は見出せないのですが、20m前後の間隔で測量したと思います。
測点間の距離を等間隔とみなしている点でイメージ図ですが、実態をほぼ正確に表していると思います。
この図は、破堤の争点での最重要の図だと思います。
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これでは見づらいので、計画高水位だけでも直線で結びたいのですが、エクセルで空白セルの表示方法について「データ要素を線で結ぶ」を選ぶと、全てのデータ系列に適用されてしまい、下図のようになります。
要するに、下図では、判読不明の箇所まで直線で補間されてしまっていることにご注意くださいということです。
図面に測点番号は付されていないので、私が付番しました。
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破堤区間であるL21.00k付近を抜き出したのが下図です。
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●舗装面の縦断図から分かること
上図からは、L21.00kを含む約60mの区間の堤防の舗装面の高さは、計画高水位とほぼ同じであり、極めて危険な状況であったことが分かります。
また、L20.00kマイナス約35mの地点の堤防(アグリロード直下流の墓地の脇)の舗装面の高さも20.61mであり、L20.00kの計画高水位20.470mとの差は、わずかに14cmですから、緊急な改修が必要でした。(2015年洪水のL20.00kでの痕跡水位は20.7mなので、L20.00kマイナス約35mの地点付近では9cm程度冠水した可能性があり、2015年までの9年間の地盤沈下と地震で堤防沈下が起きたことを考えると、20cm程度の冠水があった可能性があります。実際、グーグルアースプロや国土地理院地図を見ると、舗装面には、泥水が乾いた跡が見えるので、冠水したと考えてよいと思います。)
このような状況になるまで被告が放置したことが問題であり、こうなる前に上記2箇所を含む区間を改修しておくべきだったというのが私の意見です。(原告側は、被告が2000年までにL20k〜21kを改修しなかったことには問題がない、という考えです。)
被告は、「今回の決壊箇所を含む約500m区間における堤防の高さは、施設計画上の堤防高さと比較して、約0.25m〜約1.4mの間で、おしなべて低い状況でした。
この高低差は約500mの区間の中でのなだらかなものであり、局所的に堤防が低くなっているなどの状況ではありません。」(第1回鬼怒川堤防調査委員会に関する補足説明)と言いますが、全くのウソです。
局所的に低い箇所があったのです。
その低さは、計画堤防高と比較して「約0.25m〜約1.4mの間」ではありません。これでは、最低でも計画高水位+10cmはあったことになります。
実際は、L21.00k付近の舗装面の高さは、2005年度時点で計画高水位+1cm程度だったのです。
●2005年度のもう一つの縦断図がある
上図と似た堤防縦断図に下図があります。
2枚のうち上の縦断図は私が作成したもので、下の縦断図は、原告ら準備書面(8)からの引用です。訴状添付図の図11の再掲です。
下図は、ちょっと見ただけでは分かりませんが、 鬼怒川堤防調査委員会報告書のp2−14の「図 2.19 決壊前縦断図平成 17 年度測量成果より作成」と同じもので、堤防の高さ(低さでもある。)が強調されないように描かれています。
鬼怒川堤防調査委員会第2回会議のp18では、高さをあまり圧縮しないで描いています。(ただし、「堤防高」が最も低い箇所がL21.00kであると表示している点は誤りです。)この図では、L21.00k付近で局所的に低いことが見てとれるので、「おしなべて低く、局所的に堤防が低い状況ではなかった。」(鬼怒川堤防調査委員会報告書p2−14)と矛盾して都合が悪いと考えて、報告書では高さを圧縮して修正したのでしょう。
下図は、共和技術が上記報告書の「鬼怒川縦断成果表」としてまとめているデータから作成した縦断図です。ただし、測点No.103の堤防高20.06mは、21.06mの誤記である可能性が高いと思われるので、修正しました。(原告らも誤記と解釈しているようです。)
被告は、20.88m(計画高水位より約6cm高い)の地点(L21.00kから約18m下流)が最初の越水箇所としています。
上図との違いは何かというと、一つは、上図では、測点の間隔がおおよそ20mであるのに対して、下図では原則40m間隔だということです。
二つは、測量箇所が、上図では舗装面なのに対して、下図では天端面の最高地点である川表法肩又は川裏法肩で測量されていると推測されます。
三つは、上図では、距離標地点が測量されている場合がありますが、「鬼怒川縦断成果表」に基づく下図では、距離標地点での測量値はしなかったと思われます。
下図は、上図と大差ないではないか、2005年度の測量結果は下図で議論すれば十分ではないか、と考える人もいるかもしれませんが、L21.00k付近の形が大きく異なります。
上図のとおり、L21.00k付近では約60mにわたり舗装面の高さが計画高水位とほぼくっついていました(ほぼ計画高水位+1cmで)が、下図では、おおよそL20.982kにおける20.88mがピンポイントで低くなっていたように描かれていて(しかも堤防高は計画高水位より5.6cm高い。)、越水時の写真(下に引用した鬼怒川堤防調査委員会報告書の写真を参照)と符合しません。写真と縦断図が符合しないと、状況が裁判所に伝わらないと思います。
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●上流よりも下流よりも低かった
L21.00k付近の舗装面の高さの縦断図を再掲します。
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上図のとおり、L21.00k付近では、「上流よりも下流よりも低い」(こんな分かりやすい説明はないと思うのですが、原告側が絶対に使おうとしません。)から破堤したのです。
堤防高(ここでは舗装面の高さと定義して)が上流の堤防より下流の堤防の方が低いのは当然ですが、計画高水位は、21.25kと21.00kの地点で比べると、9cmの差です。ところが堤防高は、22.21m―20.84m=1.37mも違います。250mの区間で堤防高の下がり方が計画高水位の下がり方の15倍以上になるのです。
そして、ある地点の堤防高が下流の堤防高より低いのは尋常ではありません。
L21.00kより約80m下流の測点85の舗装面の高さは21.42mです。
L21.00kは20.84mですから、約80m下流の舗装面の高さよりも58cmも低かったのです。
L21.00k付近の堤防は、上図の状態で2015年までに約10.5cm沈下して(根拠は決壊地点の堤防の舗装面の高さは計画高水位以下だった(鬼怒川大水害)に記載)、2015年洪水を迎えたと思います。
鬼怒川堤防調査委員会報告書が載せている破堤区間付近の堤防の写真(下の2枚)を見ると、L21.00k(白いポールが目印)の上流約40mから下流約20mにわたり、局所的に低かったことが分かり、上図と符合します。
特に、5の写真では、アスファルトの黒と洪水の泥水色がくっきりと分かれており、堤防が急激に低くなっていたことが分かります。
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●原告側が提出する2011年度の縦断図は実態に符合しない
2011年度の縦断図は、被災時の直近の状況を示す図面として重要です。
そして、私は、上の写真からも、2011年度(2012年初頭)のL21.00k付近の堤防の縦断図は、「平成23年度鬼怒川堤防高縦断表」(甲32)を修正した下図のようなものになるであろうと過去記事で書きました。
この縦断図の測量箇所は、原則としては舗装面だと思います。
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2005年度の共和技術の築堤設計に合わせて、2011年度の詳細測量のデータの範囲をL18.50k〜21.05kにすると、下図のとおりです。
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ところが原告側は、原告ら準備書面(8)で「平成23年度鬼怒川堤防高縦断表」を補正せずに次のような縦断図を示します。
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つまり、L21.00kを中心として堤防高がW字を描いているのです。
この縦断図では、上記2枚の写真と整合性がありません。
なぜW字を描くのかと言えば、計画高水位より低い2箇所では舗装面で測量しているのに対して、L21.00kでは舗装面の川表側にある盛り土の頂上で測量する、という「木に竹を継ぐ」ようなグラフだからです。正確に言えば、距離標地点の標高は、測量せずに定期測量成果を引用しているだけ、ということです。
測量地点が異なる縦断図を説明もなしに見せられても、裁判所は混乱するだけであり、事態を正しく理解できるとは思えません。
しかも、原告側は、2011年度にL21.00k付近の上下流63m程度の区間で計画高水位より低い箇所が2箇所あることが測量されていたにもかかわらず、下流側の1箇所で計画高水位を下回っていた、としか言わないのです。
すなわち、原告ら準備書面(8)で、「20.98kmの高さは、Y.P.20.75mであり、計画高水位Y.P.20.82mを約7cm下回っている。」(p29)、「図7のとおり、20.98kmは、現況堤防高がY.P.20.75mであり、計画高水位Y.P.20.82mを下回っており」(p47)と言い、L21.00kの下流側の地点しか指摘しないのです。
原告側は、p28で、「2011年度の測量結果により、左岸21km付近では、現況堤防高が計画高水位を下回ってしまった箇所が、約20.98km(Y.P.20.75m)と約21.47(ママ。21.047の誤り)km(Y.P.20.80m)の2か所あることが判明していたのである。」と書いており、「2箇所あると書いている頁もあるから問題ない」と言うでしょうが、2箇所あることは、ことあるごとに言うべきだと思います。裁判官は神ではないので、「一度読んだことは忘れない」と考えるのは誤りだからです。
また、計画高水位より低い箇所は、点的に存在するのではなく、左岸約20.98kと約21.047kを結んで線的に存在したのですから、1地点だけを指摘しても、悲惨な状況は伝わらないからです。
●堤防築造義務が発生した証拠を示した方がいいのではないか
L18.50k〜21.25kの舗装面の縦断図を再掲します。
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上図は、2006年初頭には、被告に完成堤防を築造する義務が発生していることの決定的な証拠だと思います。
学者は、「これは河川管理者に私有堤防の買い受け又は代替堤防の築造義務を認めるための要件に関するものであり」(三好 規正「水害をめぐる国家賠償責任と流域治水に関する考察」p120)と述べており、築造義務が発生する場合もあるという発想は普通だと思います。
原告側は、被告には堤防の築造義務があったという主張はしません。