「河畔砂丘」は未だに理解されていない(鬼怒川大水害)

2021-10-12

●地理学者も用語の混乱を嘆いている

2018年に開催された公開シンポジウム「防災の基礎としての地形分類図」(日本地理学会災害対応委員会)では、主催者から「地形分類図にはいろいろな種類があり,一般社会や教育現場でも十分認知されていない点がある.たとえば,2015年の鬼怒川水害の際に,「自然堤防」の語の使用に混乱がみられた.」との趣旨説明がなされ、地理学者も用語の混乱を嘆いていると思います。

河畔砂丘をめぐる用語の混乱は今も続いています。

●砂丘であることを認めさせるのに1年以上かかった

国の防災上の責任を正式に議論する場である鬼怒川大水害訴訟においても、被告は「河畔砂丘」という地理用語を使うことを避けており、原告側もまた、河畔砂丘という言葉の使用を極力避けて、「砂丘林」とわざわざ言い換えて、河畔砂丘とは別物であるとの印象を裁判所に与えていると思います。(原告側が「河畔砂丘」を「砂丘林」と呼び換えなければならない理由は説明されておらず不明です。おそらくは、応用生態工学会会長特命鬼怒川災害調査団「平成27年9月関東・東北豪雨鬼怒川災害調査報告書」(2016年7月1日)をまねたと思いますが、その論法はかなり乱暴です。「こうした砂丘、微高地の殆どは現在までに掘削され、田畑、宅地として利用されているが、一部樹林帯として残存している。現在では砂丘として存在していないため、ここでは砂丘と区別し、この残存した樹林帯を砂丘林と呼ぶこととする。この砂丘林の中で最も大きな面積として残存しているのは、若宮戸地区の河川沿いに広がる3m程の比高を有する砂丘林である。」(上記報告書p32)と書かれていますが、(1)砂丘と自然堤防を一緒くたにして議論している、(2)途中で(第2文から)砂丘だけの話に切り替わる、(3)現在では砂丘として存在していないと強弁している、(4)具体例の話になると、現在では存在しないはずの、3m程の比高を有する若宮戸地区の砂丘に言及する、という難解な文章であり、手本に値しません。特に、「現在では砂丘として存在していない」という立場の学説に原告側が従うのは、砂丘が現在でも存在するという立場の原告側の主張と矛盾すると思います。原告側が「林」にこだわるのは、砂丘に木が生えていた方が防災機能が高いという説に従うからなのかもしれませんが、そうであれば、そのように説明しないと「林」を加える意味がないと思います。なお、原告側は、河畔砂丘の説明の際には必ず「自然堤防の上に」と言いますが、必要な情報でしょうか。若宮戸の河畔砂丘が氾濫平野の上に砂が堆積して形成されたものである場合には、訴訟にどのような影響があるのでしょうか。影響がないとしたら、「河畔砂丘が存在する」だけで、必要かつ十分ではないでしょうか。)

被告は、問題の本質(河畔砂丘には高い防災機能があること、したがって、堤防がない以上、河川区域に指定すべきであること。)を覆い隠したいために、「河畔砂丘」を使いたくないのは、ある意味当然ですが、原告側も使うことを避けているので、裁判所には、なぜ論争しているのか理解できないと思われます。

若宮戸の河畔砂丘を「砂丘」ではあると被告に認めさせるまでに提訴から1年8か月もかかりました。

被告が「砂堆」説を撤回するまでに1年8か月もかかったことの言い訳として、被告は、「訴状における「自然堤防」「河畔砂丘」「砂丘林」等の用語に定義がなかったことから、被告において「本件砂堆」と定義したものであり」(被告準備書面(4)p13)と述べています。

原告側が当初から、河畔砂丘を河畔砂丘と呼ぶことで一貫していれば、このような言い訳をさせることはなかったと思いますし、「砂堆」説を撤回させるまでに1年8か月もかからなかったと思います。

被告が2018年11月28日付け答弁書(p9)で「砂堆」説を言い出してから1年2か月後に、原告側は「砂堆」説が誤りであるとの前提で求釈明の申立てをしました(2020年1月21日付けの原告ら準備書面(4)p7)。

国土交通省国土地理院が若宮戸に河畔砂丘が存在すると解説していることを河川管理者としての被告が否定する根拠は何か、という求釈明の申立てをすれば早期に解決していた問題ではないでしょうか。

●国土地理院は砂丘では「浸水のおそれがなく」とまで言ってしまっている

国土地理院の「土地条件調査報告書(古河地区)」p13には、次のように書かれています(抜粋)。

第1編 総説/3 地形分類の単位とその意味/低地の微高地

低地の部高地には、扇状地、緩扇状地、自然堤防、砂丘、砂(礫)堆、砂(礫)州、天井川沿いの微高地が含まれる。

自然堤防は、洪水時に河川のより運ばれた砂やシルトが、流路沿いまたは周辺に堆積してできた微高地で、平地の一般面より0.5〜1m以上高いのが普通で、扇状地や緩扇状地より下流に発達している。洪水に対しては比較的安全で、内水氾濫による浸水はほとんどなく、大規模な洪水によって冠水することもあるが、一般面よりは浸水深は小さく、排水もまた速やかである。

砂丘は、海岸または河岸などに、風によって運ばれた砂でできた小高い丘で、通常一般面からの比高が大きく3〜4m以上、場合によっては10以上に達することがある。洪水による浸水のおそれはなく、避難場所として重要である。ただし、植物で覆われていない部分は、飛砂その他の風害を受けやすく、また一般に水利条件にも恵まれていない土地である。

砂(礫)堆、砂(礫)州は、旧海岸線に沿って波浪によりできた砂礫質の微高地で、一般面より0.5m以上から数m程度高いのが普通である。我が国の沖積平野には、かつて海が浸入していた時代に形成された砂(礫)堆、砂(礫)州が、低地内部に取残されて存在している例が多く見受けられる。洪水に対する性質は、ほぼ自然堤防の場合に類似している。

要するに、自然堤防や砂(礫)堆の場合は、「洪水に対しては比較的安全で、内水氾濫による浸水はほとんどなく、大規模な洪水によって冠水することもあるが、一般面よりは浸水深は小さく、排水もまた速やかである。」という程度であるのに対して、河畔砂丘の場合は、「洪水による浸水のおそれはなく、避難場所として重要である。」と考えられています。

防災機能が全然違うということです。(2015年には浸水するおそれがないはずの河畔砂丘で溢水したのですが、それは鎌庭捷水路によって河畔砂丘を水衝部にしてしまい、砂山を人間が削り取ってしまったからであり、それらの人為的改変を加えなければ、浸水のおそれがない場所だったはずです。ちなみに、若宮戸では、「現在砂丘形成は止まっている。」と解説する論文(貞方昇「鬼怒川下流の氾濫原の形成」p15)がありますが、その理由を解説する論文は見つかりませんでした。地理学者にとって若宮戸の河畔砂丘は興味の対象外なのか、それとも、そんな研究をしたら虎の尾を踏むことになるのか。)

同様のことが、治水地形分類図 解説書にも書かれています。

原告側は、国土地理院が砂丘では「洪水による浸水のおそれはなく」と解説していること(解説書の中で最もおいしい部分)を無視していると思います。

独特の考え方だと思います。

●高さが重要なのか形成過程が重要なのか理解できない

原告側は、原告ら準備書面(4)(求釈明申立書)p7で、次のように述べます。

すなわち、砂丘を作り出すのは「風」であって、一方で、砂堆を作り出すのは「波浪や沿岸流」であって、両者の形成原因には明瞭な違いがあり、これは形成される地形の高さに大きな違いをもたらす。


このような、若宮戸地区の「十一面山」の形成過程は、河川区域の指定の前提となる事実であり、その形成過程の認識の違いは、河川区域の指定の誤りの原因となる。

私には、意味が分かりません。

要するに、砂丘は高いが砂堆は低い、砂丘は高いから堤防類地とすべきだが、砂堆は低いから堤防類地とすべきでない、ということだと思います。

高さが問題だ、と言っていると思います。

そうであれば、高さは見れば分かることですから、形成原因や形成過程を正しく認識する必要性はないことになりませんか。

「形成過程の認識の違いは、河川区域の指定の誤りの原因となる。」ことはそのとおりだと思いますが、その理由は、「形成過程の違いが防災機能の違いをもたらすから」ではないでしょうか。

過去記事に書いたことですが、国土地理院の解説書の記述を踏まえれば、砂地の地盤が高いから安全ということにはならないはずです。6mの自然堤防と5mの河畔砂丘を比べたら、後者の方が低くても安全です。

自然堤防は、どんなに高くても、洪水の常襲地帯だったことを意味しますし、河畔砂丘は、どんなに低くても、滅多に洪水が来ない場所だったことを意味するからです。

原告側の考え方によれば、6mの自然堤防は高いがゆえに、堤防類地(山付き堤)に指定すべきことになるはずですが、それこそ「河川区域の指定の誤り」だと思います。

原告側の言っていることは、「ある地形が堤防類地として相応しいかは、地形の形成過程を正しく認識しないと判断を間違うことになるぞ」と言いながら、「形成過程の違いは高さの違いをもたらすから、結局は、高さを見て判断しろ」と言っていることになります。

そうだとすれば、「砂山の高さだけが重要なのであれば、地理学上の分類が河畔砂丘であろうが自然堤防であろうが関係ないのではないか。」と質問したくなるのは、私だけでしょうか。

例えて言えば、「力士に向いているかどうかは、背の高さだけを見て判断すべきである」という説を唱える人にとって、強さを判定するには身長を見ればいいのであって、コメを食って大きくなったのか、肉を食って大きくなったのかは関係ないはずです。

原告側は、1年半以上もかけて、河畔砂丘が「砂丘」であることを被告に認めさせることに成功しました。

しかし、「だから何なのか」という部分が見えてこないのです。

原告側は、河畔砂丘を河川区域に指定すべきだったと何度も主張します(原告ら準備書面(1)p14、同(2)p4、同(6)p33〜)が、「河畔砂丘であるがゆえに」と言ったことはありません。

上記求釈明申立書の記述を解釈すれば、砂山を「高きがゆえに」指定すべきだった、と言っているだけです。

つまり、原告側自身が「河畔砂丘」に、すなわち砂山の形成過程にこだわっていないのです。それはそうでしょう。原告側は、高さだけが重要だという考えなのですから。

国土地理院の解説書の中の防災機能の違いについての説明を無視するなら、砂山が「河畔砂丘」に該当するか否かで論争する実益はないと思います。

●「砂堆」説の放棄により被告の主張は破綻した

ちなみに、被告は、溢水箇所が河畔砂丘であることを悟られたくないために、被害報告書や記者発表資料に「河畔砂丘」という語を一切使用せず、訴訟でも「砂堆」説を唱えたと考えられます。しかし、2020年4月24日(被告準備書面(4)p13)になって、答弁書以来の認否を訂正し、「砂堆」説を放棄し、「砂丘」であることを認めました。

この時点で、被告の従来の主張(提訴前ですが、「若宮戸の「いわゆる自然堤防」は、砂が堆積してできた地形であり、丘陵地等の河側に面している部分が河川管理施設である堤防としての役割を果たしているような箇所とは考えられないことから、「一号地と一体として管理を行う必要があるもの」とは認められないため、三号地として指定をしていません。」(2017年4月14日回答書))は、破綻しました。

すなわち、河畔砂丘は、単に「砂が堆積してできた地形」(=「砂堆」というのが被告流の定義)ではなく、丘陵地であることを認めたのですから、三号地として指定するのが河川法が要請するところであり、指定しなかったことを正当化する理由がなくなったことになります。

●河川工学者の新著でも河畔砂丘は理解されていなかった

国土交通省の策略が功を奏したのか、若宮戸の河畔砂丘が被災後5年経っても理解されていなかった実例として、河川工学者の著書の話をします。

去年私は、大熊孝「洪水と水害をとらえなおす」(2020年5月発行)を、約3000円を払って買いました。

鬼怒川大水害をどうとらえるべきなのか、教えを乞いたいと思ったからです。

鬼怒川大水害については、p122〜126に実質4ページが割かれています。

p122の大見出しは、「2015年9月 利根川水系鬼怒川の破堤」です。

なぜ「破堤」だけなのでしょうか。

なぜ「溢水と破堤」としなかったのでしょうか。

鬼怒川大水害は、溢水が2箇所で破堤が1箇所です。(溢水は7箇所ですが、常総市東部の約40km2が浸水した、いわゆる常総水害(私は「鬼怒川大水害」と呼んでいる。)の原因となった溢水は2箇所です。)

国は、若宮戸溢水をなかったことにしたいことは、原因調査もしないことからも明らかです。

見出しを「鬼怒川の破堤」とし、溢水を入れなかったことは、溢水をなかったことにしたい国の目論見どおりです。

鬼怒川大水害への対応を差配したと思われる高橋伸輔・国土交通省関東地方整備局河川部河川調査官(当時)の発言を見ましょう。

2015年12月22日に国土交通省中部地方整備局が名古屋市で開催した「庄内川 水防災 フォーラム」で基調講演を行い、アドバイザーも務めた高橋の講演要旨は、下図のとおりです。

高橋講演要約

もちろん要約であり、その何倍も語ったと思いますが、要約の原稿の最終チェックは高橋がやっているはずです。

講演の中で若宮戸溢水について触れているのか不明であり、触れている可能性もありますが、要約では溢水はなかったことにされています。たとえ要約であっても、溢水があったことは書くべきです。重大な、中心的な事実ですから。高橋がなぜ書かなかったのかと言えば、溢水の事実を述べれば、責任問題に直結してしまい、自分たちにとって危険だと考えたから(保身)だと思います。

高橋は世間をケムに巻いた功績が認められて出世していることでしょう。

●河畔砂丘の説明がない

大熊は、第1点として「若宮戸地点の氾濫」について書いています。

まず、「実はここには自然に形成されたいわゆる自然堤防(予備知識・川の専門用語3参照)が約1kmにわたってあり」と書かれています。

「実は」と言うからには、自分だけが本当のことを知っているという意味かと思ったら、そうでもなく、後記のとおり、公文書の受け売りだったようですが、公表されている被害報告書に書いてあることを「実は」と修飾する意味が分かりません。

「約1kmにわたってあり」は、おそらく、若宮戸地区に河畔砂丘があることを言っているのだと思いますが、その延長は、ごく大雑把に言えば左岸24k〜26kの約2kmだと思います。

p84〜85の「予備知識・川の専門用語3」を見ると、「いわゆる」の付かない「自然堤防」と「後背湿地」が図入りで説明されています。肝心の河畔砂丘の説明はありません。

大熊は、「いわゆる自然堤防」と「自然堤防」を同じ意味の言葉として使っています。意味が同じなら「いわゆる」は不要だと思います。

これは、国土交通省の使い方と全く同じです。(「『平成27年9月関東・東北豪雨』に係る洪水被害及び復旧状況等について」(2017年4月1日)p21には、「いわゆる自然堤防」を説明する脚注として、「※1 洪水時に河川が運搬した粗粒〜細粒の物質が流路外側に堆積したもので、低地との比高が 0.5~1m程度以上のもの(出典:治水地形分類図 地形分類項目、http://www1.gsi.go.jp/geowww/lcmfc/lcleg.html)」と書かれており、単なる「自然堤防」の説明をしています。しかも、リンク先は国土地理院のサイトには相違ないのですが、私の能力ではそのページから治水地形分類図にたどり着くことはできませんでした。普通なら治水地形分類図のページをリンクすると思います。溢水地点が河畔砂丘であることを知られたくないために、治水地形分類図のページに飛ばないようにリンクしたのだと推測します。)

大熊は公文書の記述を信じたのだと思いますが、地形は自分で調べるのが筋だったのではないでしょうか。

大熊は、そもそも「河畔砂丘」をご存知ないのだと思います。

若宮戸の河畔砂丘の歴史的経緯も知らないのだと思います。1884年には最高地点がY.P.約33m(比高約13m)もあったことを知っていれば、微高地である「自然堤防」という言葉は出てこなかったと思います。

水害の専門家と見られる学者・研究者が治水地形分類図をそっちのけで水害を議論するという現象があることは、過去記事若宮戸の「河畔砂丘」を「いわゆる自然堤防」と呼ぶことがなぜ不適切なのか(鬼怒川大水害)及び地形の意義を考えない論文がある(鬼怒川大水害)に書きました。

それにしても、治水地形分類図とは一体何なのかと思います。

治水地形分類図解説書には、「堤防の決壊等が発生しやすい場所の推定や、洪水が起きたときの主な流下方向、浸水の深さや範囲、浸水時間などの予測も可能となります。」、「河川管理者が過去の洪水や土砂災害の状況を知り、堤防管理や水害予防などに役立てることを目的に作成されました。」と書かれており、そこまでは事実ですが、「この図は、地盤の情報や水害の脆弱性の把握のための基礎資料として、国土交通省内の河川管理部門で利用されています。」は事実に反します。「国土交通省内の河川管理部門」は、「河畔砂丘」を知らないし、「砂堆」の定義も理解していないのですから。

要するに、実務者も少なくない学者も治水地形分類図を無視しているのが現実です。

ただし、鬼怒川の場合は複雑です。河川管理者は、若宮戸には河畔砂丘があり、これに高い防災機能があると知っていたからこそ、若宮戸を、民有地の「山付堤」とし(2011年度鬼怒川直轄河川改修事業p4)、堤防不必要区間としてきた(2011年度鬼怒川河川維持管理計画p16)のでしょう。管理者は、河畔砂丘という用語を知っていたかはともかく、その防災機能が高いことを知っていたことは明らかです。(ただし、1970年代には計画高水位程度の洪水に耐える機能はなかったと思います。)

ところが、2015年に大水害が起きた途端に、河川管理者による治水地形分類図に対する黙殺が始まります。溢水地点の地形が「河畔砂丘」であることを隠し、悪あがき的に、「いわゆる自然堤防」、「自然堤防」、(提訴後は「砂堆」)だのと様々な呼び方をし、それを信じて議論を始める学者・研究者が続出したのです。

科学は全てを疑うことから始まるはずなので、公文書を信じてはけないと思います。

●なぜ「いわゆる自然堤防」と書くのか

上記のとおり、大熊が「いわゆる自然堤防」と書いたのは、公文書の記述に依存したからだと思われるのですが、では、なぜ国土交通省は、「いわゆる自然堤防」と書いたのか、という問題を検討します。(『平成27年9月関東・東北豪雨』に係る洪水被害及び復旧状況等について」(2017年4月1日)のp18、p20〜22に、5箇所で「いわゆる自然堤防」を連発しています。)

被告は、梅村さえこ・前衆議院議員によるヒアリングで、「若宮戸の「いわゆる自然堤防」は治水地形分類図では「砂州・砂丘」として表記されています。(国土交通省が)「いわゆる自然堤防」と表現する理由を説明してください。」という質問に「報道等において「自然堤防」という言葉が使用されていたため、一般的にわかりやすい表現として使用したものです。」(2017年4月14日回答書)と回答しました。

つまり、「報道等において「自然堤防」という言葉が使用されていた」から、被害・復旧状況報告書等の公式文書において「いわゆる自然堤防」と表現したというのです。

報道は、地元住民が「自然堤防」と呼ぶので、そう書いたのでしょう。記者は出稿の締め切りに追われていますし、地形治水分類図の存在も知らない人が大半でしょうから、報道に正確な専門用語が使われないことはままあると思いますが、新聞に書かれた用語を、管理者が、素人に分かりやすいからという理由で、公式な文書にそのまま書くことはあり得ないことだと思います。

公式な文書に「河畔砂丘」と書いた場合には、市民や記者は、「河畔砂丘」って一体何だと思って、一斉に検索を始めるでしょう。そして、その優れた防災機能に気づくでしょう。

そうなれば、堤防に代わる機能を有する自然の地形に対する開発規制を、管理者はなぜ行わなかったのか、という批判が噴き出すでしょう。

だから、被告としては、河畔砂丘は、正体不明の、訳の分からない砂の塊にしておきたかったはずです。

反国策の学者・研究者も一般市民(私も含めて)も、無知ゆえに、被告の計略にまんまと引っかかってしまったのです。

そして、大水害から6年経った現在でも、多くの人がその呪縛から逃れられず、「河畔砂丘」の本質から目を逸らし続けているのが現状だと思います。

●被災時までの築堤に実現性はあるのか

大熊は、「自然堤防が河川区域に指定されていなかったことも不思議であるが、その掘削にともなって、当然通常の堤防が造られるべきであったが、それがなされていなかったのだ。」(p123〜124)と書きます。

その意味は、2014年3月〜4月に河畔砂丘が削平された後に、仮締め切りとしての土のう積みをするのではなく、本堤防が築造されていれば、2015年大水害は避けられたのに、という意味でしょう。

「その掘削にともなって、当然通常の堤防が造られるべきであった」と言われても、河畔砂丘が延長200mにわたり削平されたのが2014年4月なので、そこから測量して、設計して、用地買収して、工事入札して、という手順を考えると、2015年9月までに築堤工事が完了するのでしょうか。鬼怒川大水害という結果を回避できたのでしょうか。

被告は、2014年4月に河畔砂丘が削平されたことを受けて、2014年度に築堤設計業務を委託し、2015年3月に若宮戸地区の築堤設計を含む「三坂地先外築堤設計業務報告書」(株式会社建設技術研究所)を収受していますが、そこから用地買収に入ったのでは、2015年9月洪水には間に合わなかったはずです。

被告は、被告準備書面(1)p55で、若宮戸の堤防整備は、水害後には、「周辺住民の理解を得やすく、また設計、工事等を同時並行で行うことができるなど、通常の堤防の整備に比較しても極めて迅速かつ円滑に進捗したが、そうであっても、整備までには約2年半の期間を要している。」と主張しています。(設計と工事を同時並行で行えるものか疑問ですが、それはともかく、被告が「地盤高を下げると洪水時に浸水する恐れがある」(「『平成27年9月関東・東北豪雨』に係る 洪水被害及び復旧状況等について」(2017年4月1日)p20)と、危機意識を持って本気で考えていたなら、2014年度中に用地買収をあらかた完了させていてしかるべきですが、被災するまでは用地買収をろくにしてこなかったことが想像されます。築堤設計完了後に用地買収するのが通常の手順なのかもしれませんが、河川区域内の民有地(いわゆる「堤外民有地」)については、築堤計画がないとしても、管理者が河川管理に必要な土地であると認識すれば適法に買収できるのではないでしょうか。)

また、被告は、河畔砂丘の削平から本件溢水までの期間での堤防整備をしなければ瑕疵があると評価することは、不可能を強いるものに等しく、河川管理実務の実情に背反するものであって、極めて不当であるとも主張します(被告準備書面(1)p56)。

被告からのこうした反論に対して、どう反論すればいいのでしょうか。

国家賠償法は、河川管理者に不可能を強いるものではない、という被告の解釈は正論だと思います。瑕疵責任は、無過失責任ではあっても(大浜啓吉「行政裁判法」p457)、結果責任ではありません。(無過失責任とも言えなくなっていますが。水害については大東判決以来、過失責任と解釈されるようになり、計画の合理性で判断する場合には、計画裁量と実施裁量の二つの関門で裁量権の逸脱又は濫用が要件となるので、むしろ重過失が要件となったと言えると思います。)

問題は、1年4か月程度の期間で、延長940m、堤防敷幅31m、高さ4.8m(根拠:若宮戸築堤工事 工事見学会(第3回) 資料。地権者の数は不明)の築堤が可能であったことを証明できるのか、だと思います。

「秀吉の三日普請」の故事もありますから、国が本気でやれば可能なのかもしれませんが、河川管理実務に詳しくない原告側が証明するのは容易ではないと思います。

大熊は、河川工学者としての感想を述べているだけであって、裁判で通用するか、まで考えた論述を期待するのはお門違いなのは分かりますが、裁判を度外視するとしても、「そんな短期間で築堤はできないよ。」という河川官僚の読者からの反論は当然に予想されるところなので、1年4か月程度の期間での築堤が実現可能であるという公算があってのコメントであるならば、そこまで言及してほしかったと思います。

現場主義で知られる著者なので、鬼怒川大水害については、現地調査をしていないので書かない、という選択肢はなかったのでしょうか。

大熊が土のう積みのやり方や八間堀川の氾濫に言及しなかったのは、さすがに本質を見ており慧眼だったと思います。

●まとめ

今回言いたかったことは、原告側は目的を忘れて砂山の形成過程に関する論争をしているのではないか、ということ及び治水地形分類図が軽んぜられる理由が分からないということです。

【何のために議論しているのか分からない傾向】

何のために議論しているのか分からないという傾向は、瑕疵の判断基準についての論争にも見られます。

過去記事のおさらいになりますが、野山宏調査官解説によれば、瑕疵の主張の型と瑕疵の判断基準の関係は、

瑕疵の主張が「改修の遅れ」型→大東判決要旨二(計画の合理性)
瑕疵の主張が「内在的瑕疵」型→大東判決要旨一(過渡的安全性の有無)

という構造になっているところ、被告は、三坂町での破堤についての原告側の主張は「改修の遅れ」型だから計画の合理性で判断すべきだ、と言います(原告側の主張が「改修の遅れ」型だという前提以外は筋が通っています。)が、原告側は、「改修の遅れ」型ではない(原告ら準備書面(8)p32)と言いながら、「計画されて実施された堤防整備の時期・順序が合理的なものであったかを考察する。」(同p15)と言っているので、結局は、大東判決要旨二(計画の合理性)で判断すべきだという立場(原告ら準備書面(2)p7も同旨)ですから、瑕疵の主張が「改修の遅れ」型である場合の判断基準と同じです。

そうであれば、結論について当事者間に争いはないのですから、瑕疵の主張が「改修の遅れ」型か「内在的瑕疵」型かと論争する実益がないことになります。

また、原告側が原告ら準備書面(8)p9において、調査官解説を説明する部分であり、本件の破堤に適用される基準であるとは言っていないものの、「以上のとおり、調査官解説第三図の横軸における各段階において、同第三図の右上がりの斜め直線で示される安全性(これがまさに段階的安全性・過渡的安全性である)を備えていなければ、河川管理の瑕疵があるといえる。」と述べ、大東判決要旨一の適用場面を説明しますが、破堤については大東判決要旨二が適用されるというのが原告側の立場であれば、なぜ「以上のとおり・・・」という大東判決要旨一の適用場面の説明が必要だったのか分からなくなり、目的を見失って、本件の破堤に関係のない議論をしているように見えます。

つまり、原告側が、「破堤に関する主張は「改修の遅れ」型ではないのだぞー」と強調する実益が見えてこないのです。

言い換えれば、原告側が調査官解説を引用する実益が見えないということでもあります。

また、調査官解説は、瑕疵の判断基準が計画の合理性だけだとは言っておらず、「何らかの改修工事がされた河川については,設計施工等の過誤により改修当時の技術水準に照らして改修の段階に対応する安全性を欠く場合,改修後の管理の手落ちにより改修当時の技術水準等に照らした安全性が損なわれた場合には,改修,整備の段階に対応する安全性(段階的安全性・ 過渡的安全性)を欠くものとして瑕疵(内在的瑕疵)があることになることをも示すものと解される。」(最高裁判所判例解説民事篇1996年度p497。原告ら準備書面(6)p17〜18で引用。)と明確に書かれており、安全性の有無で瑕疵を判断する場合があることを示しています。

【治水地形分類図の無視】

若宮戸地区に存在する自然の地形が河畔砂丘であるということ、そしてその形成過程から河畔砂丘は洪水に頻繁に襲われる場所でなかったことを示しており、並大抵の洪水が来ても、氾濫抑制効果があると考えられていることは、それほど難しい話ではないと思いますが、なぜか、原告側も被告も一部の学者・研究者も河畔砂丘を「河畔砂丘」と呼ぶことを避け、それが本来有する防災機能(単に高さの問題ではない。)にも言及しません。

よってたかって治水地形分類図及びその解説書を無視する風潮は一体どういうことなのかと思います。

もちろん地理学の通説や国土地理院の見解が全て正しいとは限りませんが(国土地理院にはウソを書く動機がないと思います。)、地理学の素人なら、とりあえずは国土地理院の見解に基づいて理論を組み立てるのが常道だと思います。

(文責:事務局)
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