鹿沼市に新市長誕生

2008-05-27,2008-05-29追記,2008-05-30追記,2008-06-05追記,2008-06-13追記,2008-06-15修正,2008-06-15追記

●新市長誕生

まずは予想どおり新市長誕生にほっとしています。佐藤信氏には、公約どおり、河川水を使わない水道行政を執行していただきたいと思います。

●「ほぼ互角」の根拠は

2008-05-23下野に「佐藤、阿部氏ほぼ互角」という見出しの記事が載っています。小見出しは「鹿沼市長選の終盤情勢」です。リードには、「8年ぶりの選挙戦は、両陣営とも基礎票の上積み、無党派層の取り込みに懸命で、市を二分するほぼ互角の戦いを繰り広げている。」と書かれています。

ところが、5月25日付け"soon"(下野新聞のWEB版)の見出しは、「佐藤信氏が圧勝、鹿沼市長選 民主推薦の初首長」でした。得票数は、佐藤信氏が37,378票、阿部和夫氏が15,440票でした。ダブルスコアどころか、2.4倍の佐藤氏の完勝です。

応援する議員の数が圧倒的に違うし、「鹿沼市長選に候補者を擁立しよう」のブログでも佐藤氏の基礎票を22,000票、阿部氏のそれを15,000票と読んでいましたから、佐藤氏が優勢だったように思います。 下野は何を根拠に「ほぼ互角」と書いたのでしょうか。

●阿部氏の敗因(2008-05-29修正)

密会問題が響いたと本人が語り、新聞も書きますが、無投票以外に阿部氏の勝ち目はなかったように思います。4年前も市民の阿部氏への反発は結構大きかったと思うからです。

当選請負人のアイデアかもしれませんが、阿部氏のとった"争点つぶし作戦"というか"公約コロコロ変更作戦"は、市民の目には余りにも無節操に映ったのではないでしょうか。

"うやむや作戦"も成功しなかったと思います。そもそも小佐々さん事件で、なぜ小佐々さんをクリーンセンターに異動させたのかもうやむやのままですが、密会事件では、なぜ密会しなければならなかったのかが十分説明されておらず、市民はすっきりしません。そこをうやむやにして、選挙で市民の判断を仰ぐ、という作戦をとったのでは、票は伸びないと思います。

4年前の無投票選挙の前には、阿部氏は小佐々さん事件をうまく処理したように見えましたが、この事件をうやむやにした報いが4年後に巡ってきたのかもしれません。

朝日も指摘していることですが、小松英夫・市議会議長も中津宰・商工会議所会頭も辞職していないことも愛想を尽かされる要因でしょう。

「市内約180団体に上る団体から支持を受け」(2008-05-26朝日)たようですが、団体の支持や推薦なんて当てにならないことは、阿部氏は8年前に福田武氏を破ったときに学んでいたことだと思います。頼れるのは大多数の民意であることは当然なのですが、権力の座に着くと忘れてしまうのでしょうか。

鹿沼市内の二つのダム計画に賛成したことも、民意が離れる要因だったように思います。黒川から水を取られる板荷地区ではほとんどの住民も議員も阿部氏に投票しなかったのではないでしょうか。西大芦地区でも東大芦川ダム問題で阿部氏に裏切られたと思っている住民は多いので、票はとれなかったと思います。「ダムに賛成する首長は住民から見放される」というジンクスが生きていたことに安堵しました。ジンクスというより必然だと思います。ダムが有害無益であることを見抜けないようでは、物を見る目がなさすぎますし、ダムが有害無益であると知りつつ、ダムに賛成するのは不誠実というより悪辣ですから、いずれにせよ首長としての資格に欠けます。

小泉純一郎元総理大臣は、自民党内の造反議員に対して選挙でチルドレン議員を刺客として送り込み、落選させるという手法をとりました。昨年9月の市議選は、阿部氏が小泉氏をまねたとしか思えないような選挙でした。しかし、チルドレン議員は当選したものの、市長にたてつく議員も当選し、オール与党化作戦は成功せず、大きなしこりが残ったと思います。

市長が小松議長と密着し、議会が執行部を監視する役割を果たせなくなっていることに市民は絶望していたと思います。議長との密着も敗因だと思います。

●争点回避は現職だけではなかった(2008-05-30追記)

朝日と読売は5月23日に鹿沼市長選の争点をまとめる記事を掲載しています。朝日は、JR新駅、財政運営、少子高齢化のほか、ハーベストセンター、夏まつり、ごみ袋、産業振興を取り上げています。読売の記事は、朝日の半分くらいの量で、産業政策、JR新駅、ハーベストセンター、福祉政策、旧粟野町地区活性化策を争点としています。

過去記事ダム問題が争点から抜けているに書いたように、佐藤氏も私たちの公開質問状に答えず、ダム問題、水道問題を争点としようとしませんでした。これらの問題が「子や孫の世代にツケを回さない市政を作りたい」(3月15日読売新聞)という佐藤氏の公約にピッタリの具体的なテーマであったにもかかわらず。

また、鹿沼事件の総括=暴力とどう立ち向かうのか、も大きなテーマだったはずです。しかし、佐藤氏の口からは、鹿沼事件を踏まえて、「自分が市長なら暴力とこのように対応する」という公約は聞けませんでしたし、マニフェスト等にも書かれていませんでした。

要するに、新聞社も両候補者もダム、水道、暴力という争点を避けているのですが、私はその理由が分かりません。

●阿部氏以前に戻るだけなのか(2008-05-30追記)

ある掲示板に5月10日に市民文化センターで開催された佐藤氏の総決起集会で鹿沼事件関係の廃棄物処理会社から給与を受けていた佐藤県議の「秘書」(佐藤氏はボランティアの後援者にすぎないと説明する。)が来場者を出迎えていた、元収入役の姿も見えたことに阿部氏以前の政治体制への復活を危惧するという内容の投稿がありました。投稿が事実に基づいているとすると、私も福田市長グループとも言うべき人たちに佐藤氏がどのような影響を受けるのか、一抹の不安を感じます。

要するに、阿部氏が落選しても、福田市長型市政に戻るのでは意味がないということです。意味がない、というのは言い過ぎで、阿部政権が終わったという意味はありますが。

●メシは自腹で(2008-06-05追記)

佐藤氏の食に関する発言で気になったことがあります。

4月10日の総決起集会で佐藤氏は、阿部氏が市長になる前は、県議と市長がメシでも食いながら、市長と県議が連携を図ったものだと言いました。連携を図るのは結構ですが、そのメシ代はだれが払ったのかが気になりました。公費だったような気がしてなりません。もしそうだとしたらという仮定の話ですが、市長も議員も報酬をもらっているのですから、メシは自腹で食べていただきたいと思います。

5月15日のテレビ討論会では、佐藤氏は、食事は作っていないと言っていました。ブログで有名な佐渡ケ島氏は、佐藤氏の政策を地に足が着いたものと評価していますが、食事も作らないような生活感のない市長に地に足が着いた政策を進められるだろうかという不安を感じます。

●不耕貪食(2008-06-13追記,2008-06-15修正)

上記「メシは自腹で」については、仮定の上での注文であり、自分でもちょっとひどいと思っています。しかし、佐藤氏が当協議会からの公開質問状を無視したのもちょっとひどいと思っています。本来ならそのメシ代はだれが支払ったのかを確認してから論を進めるべきです。しかし、それを質問してもどうせ無視されるだけだろうと思うと質問する気にもなれません。

メシを食いながらの市長と県議の会談の話に戻りますが、そのメシ代が仮に自腹であったとしても、メシを食いながらどこまで実のある議論ができるのか疑問ですので、やっぱりメシを食いながら、はやめてほしいと思います。

後段については、佐渡ケ島氏のブログ「鹿沼市政ウオッチング」のブログの近況 コメント欄のことなどで揚げ足取りというご批判をいただきました。(今後も批判は歓迎です。共闘もよろしくお願いします。)

食事を作らない佐藤氏にも困ったものですが、 そのことだけをとらえて「不安」というのは、揚げ足取りではないでしょうか?

というわけです。「不安」とは、個人の環状の問題で論証不可能ですから、揚げ足取りかどうかを議論しても実益はありません。結論のぶつけ合いにしかならない議論は不毛だということです。また、当選はしていても、まだ就任もしていない佐藤氏にはご祝儀相場のコメントを書くのが常識です。そんなわけで、マイナス面を細かく書くのもどうかと思ってあっさり書いてしまいましたが、「不安」を感じる理由を少しは丁寧に説明すべきだったかもしれません。それでも所詮感覚の問題ですから、分かる人にしか分からない話になってしまいますが。そんなわけで、「不安」とは感情であり、端的に言えば偏見ですから、この項目での以下の記述は論証ではなく、説明です。論理を期待している方は、読み飛ばしてください。

佐渡ケ島氏が「私が当該記事中で「佐藤氏の政策のほうが地に足が付いている」と述べたのは、 たとえば子育て支援について言えば、単に財政的支援の充実を自慢する市長に対して、 実際に育児をしている人の話を聞いて、子育て中の親の立場で具体的な施策を語ったところとか、 産業振興について、市長が大手企業の誘致に終始したのに対して、 地元中小企業の声を聞いて、現実的な対処を考えると述べたことなどを指しています。」と書いたことに異論はありません。(阿部氏は、中小企業支援にも触れてはいましたが。)

佐渡ケ島氏は理論の次元で佐藤氏の公約にコメントしたのに対して、私は情緒とか感情の次元でコメントしたのですから、所詮かみ合う話ではないのですが、私が彼のコメントを引き合いに出したために、彼のコメントが理論的に間違っているという批判を私がしたものと受け止められたというのが真相のような気がします。

私は、佐藤氏を批判したつもりもありません。佐藤氏が食事を作らないということをもって「悪い」とか「間違っている」とか「社会的通念に反している」ということはできないと思いますし、そう言うつもりもありません。あくまでも「佐藤氏が食事を作らない」という事実を受け取る側の問題として、コメントしただけです。ただし、食事を作らないことをとらえてあれこれ言うことが無意味でないことは、佐渡ケ島氏も「食事を作らない佐藤氏にも困ったものですが」と書いていることから、認めていますし、無意味でないからこそ、テレビ討論会で青年会議所が○×質問タイムの質問項目に「食事問題」を加えたのでしょう。

昔、上野雄文という社会党の国会議員がいて、選挙向けの文書の自己紹介の欄には、必ず「自分でうどんを打つ」と書いてありました。彼がどれくらいの頻度でうどんを打っていたのか分かりませんが、人柄を有権者に印象づけることに意を用いていたように思います。有権者は政策と人柄を分離してとらえないということを上野議員は知っていたと思います。政治家が「食事なんか自分で作ったことがない」「夕食を家庭で食べることもほとんどない」と言っていたら、宴会政治ばっかりやっているのだろうな、と思われても仕方がないと思います。

私が言いたいのは、今後打ち出される佐藤氏の政策への不安です。少なくともテレビ番組の中では料理を作っているキムタクの方が生活感があって、総理大臣を任せたいという気持ちがわいてきます(冗談です。)。江戸時代の殿様みたいにあてがいぶちを食べているだけで、農業問題、環境問題、消費者問題、女性問題、介護問題が本当に分かるのかという不安はありませんか。

ある女性国会議員が、お手伝いに囲まれて生活しているためか、だれかからコメの値段を聞かれて答えられなかったというエピソードがあります。口では、「女性の代表、主婦の代表として」なんて言われても、「生活感のない人に政治を任せられるのか」という気持ちになってしまいます。

「メシを作るかどうか」と「地に足が着いた考え方をするか」は関係ないという考え方には賛成できません。私が若いころ、引き売りの八百屋(農家の直売だったのかもしれない)からレタスを買い、食べようとしたらアブラムシがついていたのを見つけて、「虫のついたものを売るとはひどい」と怒った経験があります。ところが数十年後、自分で野菜を作るようになってからは、虫は安全の印であることを知るようになりました。

逆にどんなに探しても虫自体はもちろん、虫のはみあとさえ見つからないキャベツや白菜やナスを見ると、こんな危険な物を売るのか、と嘆くようになりました。(無論これは農家のせいではなく、野菜づくりの経験のない消費者が、見た目のきれいな農薬漬けの野菜を求めるせいです。)若いころの自分を思い出すにつけ、恥じ入ります。アブラムシの付着した安全なレタスを売ってくれたおじさん、ごめんなさい。

ことほどさように、野菜づくりを自分でするかしないかで考え方や世界観は劇的に変わります。料理にもそれに近いものがあります。自分が一切料理をせず、上げ膳据え膳の食生活をしてきたとしたら、私は、少なくとも農業問題や環境問題について今のような考え方をしていなかったと思います。

安藤昌益(江戸時代中期の医者・思想家)は、「不耕貪食の徒」という言葉を発明しました。一般には、不労所得を得ている階級を指したと解釈されているようですが、私は、「食い物を作らない人間に地に足が着いた考え方ができるのか」という批判だと勝手に解釈しています。権威を持ち出して自説を正当化していると言われそうですが(若い人に安藤昌益を持ち出しても「権威」になりませんが)、昔から、農業をやらない人間を心から信用することに抵抗を感じる人がいたということだけは言えると思います。

もっとも、農作物を生産したり料理をしたりすればまともな考え方ができるというわけではありません。食料を生産する農家の大多数が、農業を破壊する農政を進めてきた自民党を長年にわたって支持してきたことからも、食い物を作れば正しい判断ができるというものではないことは理解できると思います。食事を自分で作ることがあるという阿部氏は、鹿沼市に二つのダムが必要だと言ってみたり、人口を操作しようとしたりしていました。必要条件ではあっても十分条件ではないということです。

そんなわけで、私は、「食」が思想に与える影響というものを重視しています。2005年6月に成立した食育基本法でも「国民が生涯にわたって健全な心身を培い、豊かな人間性をはぐくむための食育を推進することが緊要な課題となっている」とうたっていることから、食が基本であるという認識には共感できます。そのねらいは、条文を読んでも理解できませんでしたが。むしろ、国民全員に朝ご飯を食べさせることが正しい、という特定の価値観の押し付けには閉口します。

●佐藤氏の人口推計は?(2008-06-15追記)

始まってもいない佐藤政権ですが、不安に言及したついでに、人口推計への不安について書きたいと思います。

これも日時、場所が特定できないので、水掛け論になりかねませんが、私は佐藤氏に「総合計画などにおいて、鹿沼市の人口推計が常に右肩上がりに伸びていくという推計をするのはおかしい」と言った記憶があります。すると佐藤氏は、「政治家としては、自分が政権を握っている間に人口が減りますとは言いにくい」と、時の市長に理解を示しました。

問題は、佐藤氏が今でもそう考えているのか、将来人口が増えるという計画を立てるのか、それとも時代が代わったので、考え方も変わったのかということです。

鹿沼市では、総合計画などにおいて、市の人口を科学的に推計していませんでした。おそらくは、市長が最初に落としどころとなる数字を決めておいて、それに合わせてコンサルタント業者が計算式を考えて、科学的に推計したように装うという方法をとってきたと思います。そうでなければ、推計が当たっているはずです。稲川政権のときには、市長が15万人という、とんでもない数字を出すものだから、企画部の職員は困っていたようです。

各自治体の人口の科学的な推計は、人口問題研究所がしてくれています。同研究所の下位推計はだいたい当たっています。自治体が独自に人口推計をするということは、少なくともこれまでは、科学的な推計を排除したいという意思の表れです。どこの自治体でも人口が減少していくことが明らかとなった今なお、右肩上がりの人口推計をやめない自治体は、土建行政をやめる気がない自治体と見てよいと思います。

したがって、市長が将来の人口をどう推計するかということは、極めて重要な問題です。阿部氏の推計をそのまま継承するならば、人口が増えるからハコモノを増やす必要があるという理屈で、ハコモノ行政がこれからも続くということになります。

確かに昔は、どこの自治体も人口推計は右肩上がりと決まっていました。人口が減るという推計をする市長がいたとしたら、頭がおかしいと思われたでしょう。だから佐藤氏も、そうした風潮に理解を示したのでしょう。しかし、今は時代が違います。日光市の人口推計はまともだ 大田原市の人口推計はまともだ に書いたとおり、栃木県内でも人口が減るという総合計画を立てている市もあります。栃木県も栃木県総合計画"とちぎ元気プラン"(22006〜2010年)で次のように書いています。

平成16(2004)年には本県の合計特殊出生率は全国の1.29よりは高いものの1.37まで低下しており、自然増減は増加から減少に転じる過渡期にあると推測されます。また社会増も安定成長時代においては大幅な増加は期待できない状況にあることから、本県の人口は、ここ数年をピークとして、その後ゆるやかに減少していくと予測されます。

ピーク年度はぼかしてありますが、県人口が減少していくことは、県としても認めざるを得ない状況になっています。

佐藤氏が鹿沼市の将来人口をどう見込むのかに注目したいと思います。

(文責:事務局)
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