専門家を育てることはいいことか

2008-06-20,2008-06-26追記

●職員をプロ集団にすべきという意見がある

ブログ"鹿沼市政ウオッチング"に書かれていることに概ね賛成するのですが、市役所の人事を考えるについては、ちょっとひっかかりました。詳しくはブログを参照してください。結論部分は、次のとおりです。

すでに在職している職員に対しては、その適正と希望をもとに、上記部門に振り分け、 今後は、基本的にその部門内での異動のみとします。 これから採用する職員に関しては、できるだけ各専門分野を専攻した学生を採用し、 その分野の専門家として育成していきます。
この人事管理を継続することで、市役所職員は基本的にすべてその道の「プロ」として育成され、 国や企業とも対等に渡り合え、市民の専門的な要望に対しても、 常に的確に対応できるようになるはずです。
職員の仕事に対する意欲も、引き出せると思います。
そしてなによりも、こうした人事管理を全国に先駆けて導入することで、 鹿沼市が、時代の激変に対応できる力をつけることができると思います。

大胆な提案かもしれませんが、いかがでしょうか? 皆さんのご意見もお待ちしています。


●国を見習えということか

国家公務員は、省間の異動は基本的にありません。上記の論旨は、これまで国がやってきた制度を見習えということのように思えます。「省益あって国益なし」「局益あって省益なし」とまで言われる国の縦割り行政が国民にとって有益だったとは思えません。むしろ税金の無駄遣いの要因になっていたと思います。

市役所で同じような人事制度を採用して、本当に住民の利益になるのか疑問に思います。

●専門家に苦しめられてきた

ダムに反対する住民は、「専門家」や「プロ」や「スペシャリスト」にさんざん苦しめられてきました。河川官僚や審議会委員が小難しい理屈をこねて基本高水流量や費用対効果の数字を出してきて、ダム建設を正当化しますが、数字のマジックのネタを見破るのに何年もかかってしまいました。

宇都宮市による湯西川ダム事業の再評価は偽装だったに書いたように、宇都宮大学教授の長谷部正彦氏は、地下水やダムや水道の専門家として鹿沼市や宇都宮市の水道問題、ダム問題関係の審議会の委員に加わり、意味不明の結論を支持したり、湯西川ダムにゴーサインを出したりしています。

終戦直後のことらしいですが、「コメを食べるとバカになるから麦を食べるべきだ」と言った東大の学者がいたそうです。「ハブの天敵はマングース」ということで沖縄にマングースを放ち、ヤンバルクイナを絶滅の危機に追い込んだのも学者の提案が発端だそうです。

朝食を食べないとテストでいい点が取れないと言っているのも学者=専門家(例えば、中川八郎・大阪大学名誉教授(神経内科学))です。

一方、野鳥の会の会員なんかは、自然のメカニズムをよく知っていて、その専門的知識を住民のために使ってくれており、私たちの運動には欠かせない存在です。

専門家はよいものであるという考え方は、専門家は専門的知識を社会のために使うという虚構を前提としていると思います。専門家はむしろ私利私欲のために専門的知識を使うことの方が多いのではないでしょうか。

●必要なのは奉仕の精神と科学的思考

役人が専門化してもろくなことはないと思います。今の霞ヶ関のキャリア官僚を見れば明らかでしょう。専門的な知識は持っているかもしれませんが、天下り先を確保して、渡り歩き、生涯賃金を増やすことに腐心し、国民の利益など眼中にないように見えます。

市の職員に必要なのは、専門的知識ではなく、住民の利益を考える気持ちと科学的な考え方ではないでしょうか。

職員には、専門的な知識よりも、素人の感覚や市民の視点が大事だと思います。川を塞き止めてダムを建設し水をためれば、今回の岩手・宮城内陸地震のような大地震が起きたときに大惨事になるのではないかという素人感覚が必要だと思います。職員がダムの専門家になったら、「大地震に絶えられる強度を持たせたダムを造れば大丈夫だ。」と言い、想定外の大地震が起きたときには「不可抗力だから仕方がない」とあっさり言うのでしょうね。

●成り立たない役人性善説(2008-06-26追記)

ブログ"鹿沼市政ウオッチング"に市民の視線に立った専門家を育成しようが掲載され、上記にコメントをいただきました。改めて、佐渡ケ島氏の市役所人事に関する提案は、ちょっといただけないと感じました。役人性善説に立っているからです。

彼は、「専門的なスキルを積み、かつ市民の利益を考え、素人の視点を失わない公務員が、最も望ましいことには、異議は無いと思います。」と書きます。確かに、市民の利益を考える職員が高度な知識を持っていたら、市民にとってこんな頼もしいことはないでしょう。彼は次のように書きます。

市の職員にとって「住民の利益を考える気持ちと科学的な考え方」が必要であることは、 まったくそのとおりだと思います。 そして、「素人の感覚や市民の視点が必要」なことも、言うまでも無いでしょう。 私が当ブログで何度も主張してきた「開かれた市政」を実現するためにも、 これらの事は絶対に必要な条件だと思います。

しかし、職員が市民の利益を考えるという「担保」は何もありません。職員は市民が払った税金で食べているのだから、市民の利益のために働いて当然だと考えている市民もいるでしょうが、幻想にすぎません。

職員は市長の命令に逆らえません。一見して明白に違法な命令でない限り、従う義務があります。市長が市民の利益にかなう行政を執行するなら、職員も市民の利益のために働いてくれるでしょう。しかし、阿部市政でのダム行政のように、市長が市民の利益に反する政策を遂行しようとするときには、職員はどっちを向くかと言えば、企画課や水資源対策室や水道部の職員はダム建設促進やダム水を前提として水道計画の執行を進めざるを得ませんし、ダムに関係のない職場の職員は、ダムが無駄だと気づいていても、沈黙を守ります。ダム反対の署名なんてしてくれません。ダムに反対の姿勢を見せれば、市長から憎まれて左遷されるのがオチです。

市長から憎まれたっていいじゃないか、左遷されたっていいじゃないか、と言う人がいるかもしれませんが、そうはいきません。出世するとしないとでは生涯賃金が大きく違ってきます。部長で退職するのと、ヒラで退職するのでは、年収で何十万円、退職金で何百万円も差が出ます。それに、お父さんはどうして係長にもなっていないの、と子どもから言われるのは精神的にもきついでしょう。妻から何バカなことやってんのよと言われるのもつらいでしょう。定年までずっとヒラだったら、近所でも世間体が悪いでしょう。同窓会にも行きにくいでしょう。ダムに直接関係のない職場の職員は、見て見ぬ振りをするしかないのです。大東亜戦争を始めたときの日本国民と同じで、「反対しても仕方がない」という心境で、ダム促進を傍観することになります。

「選挙で選ばれた市長がダム促進なのだから、市民も職員もそれに従うのが民主主義だ」という理屈をこねる職員もいるでしょうが、「選挙の時だけ民主主義」という考え方であり、賛成できません。2004年の選挙では投票の機会がありませんでしたし、2000年の選挙では、確かにダムは争点になりましたが、当選した市長候補は、ダム促進とは一言も言っていませんでした。民意を尊重すると言っていたし、むしろ中止と言っていたので、真剣に応援した西大芦の住民もいます。したがって、ダム促進は民意を反映していません。それでも市民は市長の決定に従うしかないという意見には、ほとんどの人が納得しないでしょう。

もちろん市長のリコールという制度もありますが、現実的ではありません。鹿沼市では、選挙を1回やると3千万円かかると言われています。市民団体や職員組合が市長に働きかけて公約を守らせることで足りる場合が多いはずです。上記の理屈をこねる職員は、住民運動の存在意義を認めないという特徴があります。

●市民の利益無視の理由は天下り利権だけではない(2008-06-26追記)

佐渡ケ島氏は次のように書きます。

霞ヶ関の官僚制度が腐敗するのは、政・財・官の「鉄の三角形」が作られ、その中で作られた利権が食い物にされてきたからです。

確かに私は、国の官僚は天下り先の確保に夢中で国民の利益など眼中にないという趣旨のことを書きました。しかし、多くの公務員にとって、いやサラリーマンにとって、生涯賃金の最大化は共通の願望であると思います。確かに鹿沼市役所には民間の天下り先なんてほどんとないでしょうが、外郭団体があります。外郭団体に天下るには、部長や課長にまで昇進していることが必要です。また、上記のように、家族や近所の手前、人並みには出世したいのが人情です。鹿沼市職員の中には、出生してこそ人生に意味がある、と言い切る人もいます。

要するに職員は、人事権のある市長の意向に沿って行動しないと出世できません。職員が学者と議論できるような専門的知識を付けた場合、市長が市民の利益にかなう政策を進める場合には結構なことですが、市民の利益を害する政策を進める場合には、悲惨なことになります。職員の知識が悪知恵に変わります。つまり、職員が御用学者の集団になるのですから、市民にとってこんな恐ろしいことはありません。市長がいい市長が悪い市長かで意味が変わるような人事制度では意味がないと思います。

●セクト主義はどうやって排除するのか(2008-06-26追記)

佐渡ケ島氏が提唱される人事制度では、部門内での異動しかしないということです。では、総合的な視野はどうやって養うのか分かりません。今でさえ、職員が幸せならば、ダムができて市民が不幸になってもかまわないと考える職員がいるのに、彼の人事制度を採用したら、○○部の利益しか考えない職員が出てこないでしょうか。

●スキルアップなんて必要ない(2008-06-26追記)

公務員性善説は成り立たないでしょう。国ではノーパンしゃぶしゃぶから接待ゴルフ、居酒屋タクシーに至る歴史を見れば税金泥棒という言葉しか浮かんでこないでしょう。鹿沼市ではどうか。自分の親の葬式の日取りを自分の職務に関連する業者にわざわざ沙汰をするような職員はもういないとは思いますが、辰巳ダムに反対する元県職員は「かち殺してしまえ」 の「●組合の本来の役割とは」に書いたように、職員組合のニュースに「市民の目線で考えることもこれからは求められています」と書かれていることからも分かるように、多くの職員は市民の目線なんて持っていません。

職員の職場はいろいろあります。戸籍や住民票の係の職員は市民をだます必要はありませんが、ダムや水道関係の職場では、市民をだますのが商売になってしまっています。そんな職場の職員にはスキルアップしてほしくありません。だましのテクニックを磨かれては市民はたまりません。職員がうそをつくなら、すぐにばれるような稚拙なうそをついてもらった方が市民としてはありがたいのです。

確かに異動を少なくし、スキルアップして得られる利益もあるでしょうが、失うもの方がはるかに大きいのではないでしょうか。

(文責:事務局)
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