鬼怒川左岸21kの堤防の累積沈下量は1.79mだった(鬼怒川大水害)

2021-11-28

●鬼怒川21kの横断図は1964年度から2015年度までで17枚あった

鬼怒川21kの横断図(開示されたエクセルをpdf(1.5MB)に変換したものがダウンロードされます。誤りがありますので、使用される場合は、次回記事左岸21kの堤防の盛り土は1964年度からあった(鬼怒川大水害)の冒頭部分をご覧ください。)という開示資料があります。タイトルは横断図ですが、数値だけです。

それを基に、下図のとおり、1964年度から2015年度までで17枚の横断図を作成しましたが、イメージであり、実際の形状とは異なります。

几帳面な人が見たら、なんだか分かんないじゃないかと怒り出すような代物ですが、ご容赦ください。

測量地点が一定していないので、どこがどう変わったのかが分からないのです。

具体的に言えば、横軸は、「累加距離」という名目ですが、基準となる0.00mの地点が一定しませんし、測量地点の間隔も決まっていません。

左岸堤防も右岸堤防も毎回のように形が違うので、重ね合わせのしようがありません。

グラフタイトルの数字は、「年度測量」が省略されています。

標高は、Y.P.mです。

定期測量が1964年度から1966年度まで3年度連続であったこと及び1983年度から1990年度まで7年間のブランクがあったことは意外です。

2015年度の定期測量は被災後に実施されており、荒締切堤が描かれているとの説明が関東地方整備局職員からありました。また、左岸の高水敷が2011年度測量のものと比べて大規模に削り取られて、堤防基盤での浸透(パイピング)が起きやすくなっていたことが分かります。

被告は、鬼怒川大水害訴訟において、定期測量のデータを出さないことによって、勝訴しようと考えていると思います。

被告は、被告準備書面(1)p45で「鬼怒川では、250メートル間隔で距離標を設置し、平成27年9月の近年では平成16、20、23、27年度と定期縦横断測量を行い」と言っており、2004年度より前の定期測量成果を問題にしてほしくないという意図がうかがえます。ただし、被告は、堤防沈下の説明のため、1998年度測量における左岸堤防高については、証拠を提出しています。

そして、一般市民が定期測量成果を全ての情報公開請求をすると、被告は1990年度測量よりも古いものはありません、と言って、1990年度以降のデータしか出しません。

しかし、河川定期縦横断測量の法的根拠は、測量法第34条(1949年制定)であり、その下の基準に「作業規程の準則」(1951年制定、建設省告示)があるのですから、河川定期縦横断測量は、1951年頃から実施されていたと思われます。

被告が定期測量成果を廃棄したのかというと、河川定期縦横断測量業務実施要領・同解説(1997年6月、財団法人 日本建設情報総合センター)の「第8章保管」を読むと、定期測量成果を廃棄することはおよそ想定されていないと思われます。

また、横断測量の成果については、今回示したように、少なくとも1964年度まではさかのぼって開示されています。

したがって、1990年度測量より古い定期測量成果は存在しないという関東地方整備局職員の説明は虚偽だと思われます。

本当は、鬼怒川大水害訴訟弁護団が情報公開請求訴訟をやってくれるとよいのですが、弁護団は、1990年度より古い測量成果は不要だと考えていると思われます。

横断図1
横断図22
横断図33
横断図44

●左岸21kの堤防の累積沈下量は1.79mだった

堤防高とはどこを計測した値か、という問題はさておいて、ここでは、堤防高とは堤防の最も高い部分の標高であると仮定して話を進めると、鬼怒川21kの左岸の堤防高の変遷は、下図のとおりです。

ただし、下図における最古のデータである22.47mについては、横断図のデータではなく、1966年の河川区域告示図に記載されていたL21kの堤防の標高です。測量時期は1962年度(1963年初頭か)頃と推測して話を進めます。

L21K堤防高推移

前回測量よりも高くなっている箇所が三つあります。

二つについては、3cmと1cm高くなっているので、誤差や測量地点が違うことが理由だと思いますので不問に付すことにしますが、1969年度測量の堤防高は1966年度の堤防高より36cm高くなっているので、盛り土をしたと考えざるを得ません。

そう考えると、1962年度から2011年度までの49年間でのL21kの堤防の沈下量は22.47m―21.04m=1.43mということになりますが、累積沈下量は、これに0.36mを加えて、1.79mだったことになります。

ここで二つの疑問があります。

一つは、被告が盛り土をしてその高さを堤防高として扱ったとすると、そのようなことが適切な管理と言えるのか、ということです。

二つは、堤防高の累積沈下量が1.79mにもなるような地点がL21k以外にあるのか、ということです。

●盛り土の高さを堤防高として扱うのは違法だ

下図は、鬼怒川左岸21kの堤防高は計画高水位より10cm低かったことの明確な証拠があった(鬼怒川大水害)で掲載したものですが、L21kの堤防の横断面図です。縦横比は10倍です。実測日は、2012年2月9日です。

L21k横断図拡大

「As」は、アスファルト舗装の意味でしょう。

アスファルト舗装の左端(裏法肩)の高さ(Y P)は、20.75mで、右端(堤防の中央付近)の高さは、20.73mです。

盛り土の高さは堤防高として扱われ、舗装面との差は21.040m―20.73m=0.31mです。

つまり、堤防天端に降った雨の排水勾配は、河川側に流す片勾配だったのです。

ところが、天端の川表寄りに盛り土をしたために、舗装面に降った雨は川表法面に向かって流れていきますが、盛り土に遮られて、堤防の中央付近で水たまりができる構造になっていたのです。

このことは、2014年撮影の衛星写真でも確認できます。

下図は、グーグルアース提供の_怒川左岸21k付近の衛星写真で、撮影日は2014年3月22日です。被告は、下流の堤防や護岸の工事のために、2013年7月5日から2014年5月30日まで、L21k付近の高水敷及び低水路で砂採取をしており、当該砂採取が始まってから約8か月後の状況です。

水たまり

L21kの距離標の直下流の堤防天端に白っぽい富士山型の三角形が見えます。下流の坂路との交差部の堤防天端に鉄板を敷くために敷かれた養生砂のうち細かい粒子のものが雨水に溶け出し、「下流から上流に向かって」流れ出し、最も低い箇所を中心(左岸21kから約9m下流の地点)とした水たまりを形成し、雨水が蒸発すると、アスファルトの表面にこびり付いた砂が白っぽく見えるのだと考えられます。L21kの下流の所々にある盛り土が雨水の排水を妨げていた証拠ではないでしょうか。

以下は、ほぼ決壊地点の堤防の舗装面の高さは計画高水位以下だった(鬼怒川大水害)の記述の繰り返しになります。

堤防天端に水たまりができることは、水が堤防に浸透して堤防を脆弱にするものであり、水たまりができないように補修する必要があります。堤防天端の舗装は、雨水の堤体への浸透防止が第1の目的です。

そうであれば、管理者自らが堤防天端に水たまりができるように盛り土をすることは自傷行為とも言うべきものであり、許されるはずがないと思います。 (堤防天端の川表側に盛り土をしても許されるのは、排水勾配が川裏側に流す片勾配である場合だけです。)

したがって、L21kの盛り土はあってはならないものです。

したがって、盛り土の頂上を堤防高として扱うことは許されないはずです。

そんなことが許されるとすれば、管理者は、堤防が沈下しても、かさ上げ工事をせずに、盛り土をすることによって堤防沈下の事実を覆い隠し、築堤時期についての判断を誤ることになるからです。鬼怒川大水害がまさにその例だったのです。

被告が、L21kの堤防高が21.04m(2011年度測量)であるとして、かさ上げ工事を後回しにしていたことは、「市民の皆さん、L21kの堤防高は計画高水位(20.830m)より21cm高いので安心してください。」と言っていたことになりますが、二つの意味で欺瞞です。

一つは、21.04mは盛り土の頂上の高さであり、堤防高ではない(偽装である)ことです。

二つは、仮に、ルールに則って測量された堤防高が計画高水位+0.21mだった(偽装でない)としても、その高さは、安心できる高さどころか、最も危険なレベルだったことです。

1986年度から1994年度までに使用された重要水防箇所評定基準(案)では、堤防高が「計画堤防余裕高に対して現況余裕高が1/5以下の場合であり計画高水流量を疎通せしめるには最も危険な箇所」は、「水防上最も重要な区間A」とされていました。

「計画堤防余裕高に対して現況余裕高が1/5以下」とは、鬼怒川では、現況余裕高が1.5m×1/5以下=0.3m以下ということです。

L21kの2011年度における現況余裕高0.21mは、最も危険な箇所だったのです。

L21k付近の盛り土は上下流に連続していなかった(せいぜい延長十数m)ので、洪水は、水位が盛り土の頂上に達する前に、盛り土の上流と下流から回り込んで舗装面を冠水させるので、盛り土に存在意義があまりないことは、鬼怒川堤防調査委員会報告書に掲げる写真が示しています。

L21kの盛り土は、雨水の排水を妨げて堤防を脆弱化し、堤防高が高いように偽装して築堤の時期を遅らせるという二つの罪を背負っているのです。

あってはならない盛り土の頂上を堤防高として扱うことは、違法です。

●堤防高とは何かから説き起こすべきではないのか

しかし、原告側は、2011年度測量におけるL21kの堤防高は21.04mであることを認めています(証拠説明書における甲40の説明)。

「21km地点の堤防高は最高でY.P.21.04mしかなかったことを示している。」ということは、「21.04mもあった」と言っていることでもあります。

原告ら準備書面(8)p29では、「堤防高の測量は天端表法肩で行われており、図9で明らかなように、左岸21kmの測量結果である堤防高Y.P.21.04mは、川表側の盛土されている箇所での測量結果である。」と書かれています。

「堤防高の測量は天端表法肩で行われており」は、あいまいな言い方です。

最初に読んだときは、L21kの堤防高が「天端表法肩で行われており」という意味かと思いました(証拠説明書の甲40に関する記述からもそう読めます。)が、個別の堤防高の話ではなく、一般論として「堤防高の測量は天端表法肩で行」うルールが存在した、という意味のようです。(そうだとすると、上記の証拠説明書の記述と矛盾します。その理由は、証拠説明書の執筆者と準備書面の執筆者が別人だった可能性が考えられます。)

被告は測量のルールを守っていないと言いたいのであれば、そもそも、堤防高とはどの地点を測量するものなのか、ということを問題にし、「河川定期縦横断測量業務実施要領・同解説」(建設省河川局治水課 監修、1997年 6 月、財団法人 日本建設情報総合センター。乙52では2018年改訂版と新旧対照表示されています。)という根拠資料を示して、定期測量における堤防高は、「堤防の表法肩において測定する。」という決まりがあること及び被告がこのルールを守っていなかったことを主張すべきです。

鬼怒川の「堤防横断図」には、各距離標地点における堤防高等の測量地点が示されていますが、「堤防の表法肩において測定する。」という決まりは守られていません。

概して言えば、堤防の最高地点を測定していたのではないでしょうか。L21kの堤防高がまさにそうだったのです。

要するに、被告が「河川定期縦横断測量業務実施要領」を遵守していなかったことを指摘しなければ、書面として不十分だと思います。

原告側は、「河川改修計画の策定(及びその実施)においては、現況堤防高を第一に考慮しなければならない」(原告ら準備書面(8)p9)と強調するのですから、そもそも「堤防高」とは何か、どこを測定した値なのか、から説き起こした方がよいのではないでしょうか。

いずれにせよ、原告側は、被告がせっかく提出した「河川定期縦横断測量業務実施要領」(乙52)には利用価値がないと考えているようです。

●原告側は21.04mを是認している

原告側は、「又、天端の本体というべきアスファルト舗装されている箇所は、この部分よりも約30cm低く、平均でY.P.20.75mであり、計画高水位Y.P.20.83mを8cm下回っていた。要するに、堤防の天端の本体というべきところはアスファルト舗装されている箇所であり、計画高水位を8cm下回っているのに、川表側に約30cmの盛土がされていて、天端高が見かけだけ計画高水位を満たしているようになっていたのであり、脆弱な天端構造であったのである。」(原告ら準備書面(8)p29)と主張しています。

この記述も曖昧です。

「見かけだけ」の「天端高」を正式の堤防高として是認するのか否かが読み取れません。

「堤防高が見かけだけ」と言わずに「天端高が見かけだけ」と言っていることからすると、当該「天端高」を正式な堤防高とは認めないぞ、という意図が隠されているのかもしれません。

しかし、裁判所はどう読むだろうか、と考えると、甲40に関する記述と準備書面本文の「脆弱な天端構造であったのである。」という結論部分とを併せ読めば、そして、原告側はそもそも「正式な堤防高」とは何かについて説明していないことから、「L21kの正式な堤防高が21.04m(2011年度)であることは認めるが、舗装面の高さが計画高水位より8cm低かったので、天端の形に少し問題があったのではないか」という程度の話にしか受け取らないと思われ、明確に瑕疵に結びつく話には聞こえないと思います。

問題の本質は、「脆弱な天端構造であった」ことではなく、ルールを守らずに堤防高を測量し、偽装したということだと思います。

惜しい話だと思います。

L21kの正式な堤防高が21.04mであることを原告側が認めたことになれば、「計画高水位より21cm高かったのだから、L21k付近の築堤を最優先するかどうかは裁量の余地がある」という被告の言い訳を許す可能性があります。計画高水位プラス21cmは危機的であり、本当はそんな言い訳は通用しないのですが、裁判所が「そんなものかな」と受け取る可能性はあると思います。

2011年度測量において、L21kの正式な堤防高は、盛り土に隣接する舗装面の20.73m以下になるはずであり、計画高水位20.830mより10cm以下であった、と主張すれば、現況堤防高が計画高水位以下なので緊急に改修すべきであり、裁量の余地はないはずです。(原告側はそうは考えてません。)

ちなみに、原告側は、舗装面は「計画高水位を8cm下回っている」、つまり、計画高水位20.830m―0.08m=20.75mだと言っていますが、この高さは、堤防の裏法肩の高さであり(下図参照)、原告側自らが述べていた、「堤防高の測量は天端表法肩で行われており」(原告ら準備書面(8)p29)というルールを無視しています。

準備書面8添付図
原告ら準備書面(8)の添付図

●舗装面の高さは平均で20.75mではない

原告側は、「又、天端の本体というべきアスファルト舗装されている箇所は、この部分よりも約30cm低く、平均でY.P.20.75mであり」と言いますが、私の計算では20.75mにはなりません。

被告が作成した2011年度のL21kの横断図は、鬼怒川左岸21kの堤防高は計画高水位より10cm低かったことの明確な証拠があった(鬼怒川大水害)に載せておきました。

測量値は下図のとおりであり、舗装面の標高の値は、赤い四角で囲んだ四つです。(ちなみに、その右側の二つの「21.04」が盛り土の頂上の高さです。)

L21kの舗装面の幅は、追加距離欄の-6.50と-3.20の差から3.3mだったようです。同様に、天端幅は、-6.50と-0.50の差から6mだったことになります。そうであれば、関東地方整備局は、読売新聞の取材に対して、決壊地点の堤防天端幅は約6mだと答えたのでしょうか(2015年9月25日の読売記事はnaruralright.orgの「堤防自体は全域にわたり同レベルにできていた3」を参照)。

盛り土部分まで含めれば6mだったと答えればよかったじゃありませんか。

なぜそのように答えなかったのでしょうか。

そのように答えれば、「盛り土がされているのはなぜか」、「他にもそのような形の堤防があるのか」など質問が記者から出るのを嫌がったから、という可能性はないでしょうか。

それはともかく、L21kの舗装面の標高は、20.73と20.75がそれぞれ二つずつですから、それらの平均値は、計算するまでもなく、20.74mです。

原告側が、なぜ舗装面の高さの平均が20.75mだと言うのか理解できません。

そもそも堤防高は、表法肩で測定するという決まりがあるのに、平均を持ち出して議論する意味が分かりません。ここでも原告側には、そもそも堤防高とは何か、を考えていないことが分かります。

天端測量データ

●堤防高の累積沈下量が1.79mにもなるような地点がL21k以外にあるのか

堤防高の累積沈下量が1.79mにもなるような地点がL21k以外にあるのかについて検討します。

下図は、鬼怒川下流部(ここでは3k〜30k)の左岸堤防の沈下量です。

河川区域告示図に記載されていた堤防高(堤防のない区間では地盤高。測量時期は1962年度と推測します。)と2011年度測量でのそれとを比較したものです。距離標の間隔は500mです。

沈下量がマイナスの箇所は、堤防のかさ上げ改修がなされたと考えます。

ただし、L25.00kとL25.50k(いずれも若宮戸地区)については、測量地点の違いによるものです。すなわち、河川区域告示図では、河川区域内の距離標地点の標高又は距離標高(距離標杭の頭頂部の標高)が測定されたのに対して、2011年度測量では、距離標地点の河川横断測線を河川区域外までどんどん引き伸ばし、最高の地点を見つけて測量していることによる違いです。

左岸堤防沈下量201110

上図で何が分かるかというと、左岸の18kから22kまでの4kmの区間は、猛烈に沈下する区間であるということです。L19.50kを除き、49年間で1m以上沈下しています。

L12.50kの見かけ上の沈下量は1.71mで最高値ですが、その理由は、沈下ではなく、測量地点である河畔砂丘の掘削です。

L12.50kがどんな場所であるかについては、naturalright.orgの16 若宮戸以外の河畔砂丘 draftで詳しく研究がなされているので是非ご参照ください。

L12.50kは無堤防区間であり、山付き部です。2011年度鬼怒川直轄河川改修事業のp4の地図で左岸の10.0kと15.0kの中間部分が薄オレンジ色に塗られ、被告はこの箇所を山付き堤の山の部分と見ていることが分かります。

L12.50kは小山戸町の河畔砂丘であり、測量地点は、河畔砂丘を縦断する道路(平面図で見ると堤防に見えます。)と水海道第六保育所の庭の間にあります。ここも河川区域外の民有地なので、所有者が自由に掘削しているということだと思います。

したがって、下流部左岸での沈下量ワースト3は、
L21.50kの1.54m
L20.50kの1.49m
L21.00kの1.43m
となります。

なあんだ、L21.00kは、最高に沈下する地点じゃないじゃん、という話になりますが、上に掲げた「鬼怒川左岸21k堤防高の推移」のグラフを思い出してください。

L21.00kの堤防高は、1966年度から1969年度で36cm回復してしまうので、累積沈下量は1.79mとなります。

そうなると、2位のL21.50k(沈下量1.54m)を25cmも引き離してダントツの1位となります。(もっとも、L21.50kとL20.50kの堤防高の推移については調べていないので、それらの地点でも盛り土がなされていれば、順位が入れ替わる可能性はありますので、論証したことにはなりませんが。)

左岸18kより下流でも猛烈に沈下していたのではないか、改修されたので上図に表示されにだけではないか、とお疑いの方のために、1998年度測量と1962年度測量(推測)とを比較したグラフを下に示します。

下図のとおり、確かに、8k〜10k及び14k〜16.5kでも沈下が相対的に大きいのですが、18k〜22kと比べたら、危険性の違いは明らかです。

18k〜22kでは、1998年度の時点で沈下量がほぼ1mを超えていますが、それより下流では、1mを超える沈下はL9.5kだけです。(上記のとおり、L12.50kの数値は、沈下量ではなく、河畔砂丘が掘削されたことによる地盤低下量です。)

左岸堤防沈下量199811

念のため、鬼怒川下流部右岸の堤防高の沈下量も示します。

1962年度測量値と2011年度測量値の比較によります。

やはり右岸でも18k〜22kの沈下量が大きいことがうかがえます。

R20.50k(1.43m)とR18.50k(1.3m)での沈下が突出しています。

右岸の堤防高の1960年代からの推移についてはどこも調べていないので、L21kのように、盛り土をして堤防高を偽装するような小細工がなされていた場合は話は別ですが、そうでない限り、右岸でも沈下量が1.79mにもなる地点はなかったことになります。

右岸堤防沈下量201112

●L21.00kは猛烈に沈下する箇所であることの証拠は他にもある

下図は、L21kの堤防の衛星写真であり、 GoogleEarthProからです。撮影時期は、2017年10月9日と表示されますが、誤りです。

L21kの堤防脇に片井クリニックとヤマグチ薬局が写っていますが、グーグルマップでは、2019年10月7日にはまだ建築中だからです。2020年2月14日には完成しています。

したがって、下図は2020年以後の写真だと思います。

破堤地点付近の本復旧堤防は、2016年5月には完成していますので、完成から3年半くらいで、破堤区間では堤防の表法肩に近い部分で水たまりができているので、堤防沈下の激しい区間であることを示しています。

ここよりやや上流にも水たまりが見られますが、ここほど堤防沈下が顕著に見られる箇所は他にないと思います。

この堤防沈下は被災後の現象なので、訴訟で使うことは難しいと思いますが、破堤区間が激しく沈下する区間であったことは、被災前から分かっていたはずです。

復旧堤防水たまり13

●原告側は1.79mの堤防沈下の放置を管理ミスとは捉えていない

以上の検討により、鬼怒川の破堤地点であるL21.00kの堤防は、約半世紀の間に約1間沈下したのであり、そんな地点は、鬼怒川下流部では他にはなく(中流部でも上流部でもないはずです。)、特別に危険な地点だったと一応は言えます。

しかし、被告は、およそ半世紀の間、この最も激しく沈下していた箇所の改修を行いませんでした。

それでも、原告側は、この放置を管理ミスとは捉えていません。

なぜなら、管理ミスと捉えているならば、破堤についての瑕疵の主張は、野山宏裁判官のいう内在的瑕疵型になるはずであり、大東判決要旨一が適用され、瑕疵の有無の判断基準は、過渡的安全性を備えているか、になると主張するのが論理的帰結ですが、原告側は、「被告の堤防整備の計画及びその実施には、堤防整備の時期・順序において格別の不合理がある」(原告ら準備書面(8)p13)と主張するのですから、改修の遅れ型に適用される大東判決要旨二を適用して、計画の合理性で瑕疵の有無を判断すべきと主張しているからです。

(文責:事務局)
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