鹿沼市長立候補予定者テレビ討論会を見に行った

2008-05-16,2008-05-17修正

●耳を疑った

5月15日の鹿沼市長立候補予定者テレビ討論会に行ってきました。会場は、鹿沼市民文化センター大ホールです。両立候補予定者のいる場所は不明です。そのせいか、会場に集まった人は、16日付け下野新聞によると「会場を訪れた市民は約200人」だったそうです。(観客数については、読売が「市民ら約150人」と書き、朝日が「100人ほどの市民」と書いています。100人と200人では倍も違います。倍も違って良いものでしょうか。新聞は真実を伝えるのが使命だとすれば、朝日と下野のどちらかの記事には問題があるということになると思います。)

2008-05-03読売新聞には、異例の"テレビ討論"となったことについて、鹿沼青年会議所は「「出席者の安全を確保するため」と説明している。」と書かれています。

2008-05-08朝日も「同会議所の吉田純二理事長は「安全確保は必要で、テレビ中継は一つの方法として採用した。討論会の目的は立候補予定者の政策やビジョンを市民に広く伝えることで、形式は重要ではない」としている。」と報じています。

ところが、冒頭の主催者あいさつで、鹿沼商工会議所理事長は、討論を会場にいる人が聞くだけでなく、広く市民に伝えたいのでテレビ討論ということにしたと言いました。我が耳を疑いました。

読売新聞の記者は、「テレビ討論について同青年会議所は「出席者の安全を確保するため」と説明している。」と書いています。当日の理事長の説明が真実だとすれば、5月2日以前に青年会議所が記者にした説明がウソだったか、記者がウソを書いたか、どちらかということになります。

私は、当日の理事長の説明がウソであるように思います。読売の記者はウソを書いていないと思います。なぜなら、ウソを書く動機が見当たらないからです。読売がウソ記事を書いても何の得もしないでしょう。また、2日付け下野も同様に「出席者の安全を確保するため」と書いています。

かといって、政治家でもない青年会議所の方がウソをつく必要もないと思います。それにもかかわらず、テレビ討論にした理由が、新聞記者への説明と当日の聴衆への説明でなぜ食い違うのかを青年会議所には何かの機会に説明してほしいと思います。

当日の理事長の説明がウソであると思うもう一つの理由は、理事長の言う理由が理由になっていないからです。討論を広く市民に見てもらうためにケーブルテレビで生中継するというなら、実際の討論を密室でやる必要はないからです。文化センターの公開討論を生中継すれば、家庭でも見られます。鹿沼ケーブルテレビは、討論を生中継する能力がないとでも言うのでしょうか。鹿沼市議会の生中継ができるのですから、文化センター大ホールの生中継もできたはずです。

理事長が記者と市民にちぐはぐな説明をするようでは、どちらかの立候補予定者が飛び入りの質問を恐れたためと勘ぐられても仕方ないと思います。

テレビ討論会となった経緯について青年会議所が本当のことを言うと、どちらかの立候補予定者に不利になるから、本当のことを言わなかったとすれば、そのこと自体が青年会議所が一方の肩を持っていることになります。投票の参考にしてほしいと言うなら、両者の実態を知らせるべきではないでしょうか。

青年会議所は、新聞記者に説明したことと当日聴衆に説明したことが食い違う理由を説明すべきです。そうでなければ、「主催者及びコーディネーターは如何なる事由に関わらず公平中立な立場で進行いたします。」と会場で配った資料に書いても、どこが「公平中立」かという疑いを持たれると思います。

●コーディネーターの勘違いなのか

面白い場面がありました。20時過ぎの○×質問タイムのことです。和賀氏が「この討論会に出ることについて気が進まなかった」と質問すると、両者とも「×」の札を挙げました。次に「今後はこの討論会のための会場使用料は無料にしたい」と質問すると、両者とも「○」を挙げました。すると和賀氏が、「出席することは気が進まないが、使用料は無料にしたいとうことですね。」と言いましたが、後に間違いでしたと訂正しました。

だれにでもあるような、単なる勘違いでしょうか。実際に出席を渋った立候補予定者がいたので、そのことが和賀悠慈氏の潜在意識にあって、「出席することは気が進まないが」という言葉が出てしまったのではないでしょうか。「出席することについて気が進まない」という質問に、本番になって両者とも「×」を挙げるとは予想していなかったのかもしれません。

そもそも「この討論会に出ることについて気が進まなかった」という質問をしたということは、実際に、出演に難色を示した立候補予定者がいたからではないでしょうか。

なお、会場使用料については、今回は有料だったと思います。無料にするからには、公益性が必要でしょう。今回のように、テレビ討論になった経緯について矛盾する説明をしてみたり、テーマの設定過程について透明性もなく、テーマの公募もしないようでは、公益性は認められず、無料にするべきではないと思います。

●「ダム問題」も「暴力団対策」もテーマにならなかった

過去記事ダム問題が争点から抜けているに書いたように、案の定、ダム問題、水道問題、暴力とどう立ち向かうのか、というテーマには全く触れられませんでした。暴力の問題は、上記のテレビ討論にした理由にも関連します。暴力が予想されるから密室で討論するというのが立候補予定者の考え方だとすれば問題です。暴力が予想されるなら、警察官に警護を要請して公開討論の形を貫く方法もあったと思います。

暴力が予想されるから、公開はやめて密室にするというやり方は、右翼が来るとほかのお客様に迷惑だから日教組に会議室を貸さないというプリンスホテルの対応に似ていると思いす。今後鹿沼市で市民が右翼団体を刺激するような催し、例えば映画"YASUKUNI"の上映会とか、を文化センターでやる場合、右翼が来て周辺の住民に迷惑を及ぼす可能性があるから文化センターを貸さないということになるのかどうか、という問題に発展しますから、その意味でも、暴力にどう対峙するのか、という問題に対する両者の考え方をきちんと聞くべきだったと思います。

リンカーン方式というのは、質問事項まで決まっているのでしょうか。そうだとしたら、市民のためを考えるなら、リンカーン方式を守らなくてもよいのではないでしょうか。鹿沼には鹿沼が抱える課題があります。それを市長候補予定者が討論して、有権者への参考に供するのが、公開討論会ではないでしょうか。時間が余るなら、鹿沼特有の課題について討論すべきです。

金太郎あめみないな質問からは金太郎あめみたいな答しか出てこないのではないでしょうか。鹿沼市の政策が金太郎あめでは困るという見地から、コーディネーターの和賀氏は「鹿沼の売りどころは何ですか」という質問をぶつけたと思いますが、だったら、金太郎あめみたいな質問は最小限にとどめた方が良かったと思います。今回の討論会をテレビを見た人の感想は、「抽象的でよく分からん」というのが多いのではないでしょうか。

●最重点政策が少子化対策とは

重点政策を聞かれて、阿部氏は、第3子対策事業を一番に挙げました。

市のホームページには、「そこで鹿沼市では、(理想的な子どもの数は3人という)多くの市民の願いをかなえるために、3人以上の子育て家庭に対する支援に特に力を注ぎ」と書いていますが、阿部氏の話を聞いていると「願いをかなえる」という視点よりも、「人口減少につながるようなことがあってはならない」と言っていたように、「人口増」「人口操作」に視点が置かれているように感じます。事実、市長は2005年3月には職員に対して人口増加につながる政策を掘り起こせという命令を出していますから、阿部氏が人口増加を最大の課題ととらえていると言えると思います。

何でも「一番」の好きな阿部氏は少子化対策で先頭を走っていることを自慢しますが、阿部市政の少子化対策が少子高齢化への対応においてビリという結果をもたらす可能性があります。

人口が減って困るなら人口を増やせばいい、という発想は一見正しいように思えますが、そうではないと思います。なぜなら、人口は増やせないからです。

過去記事鹿沼市の少子化対策が功を奏したのかに書いたように、 宇都宮大学教育学部助教授の金田耕一助教授は、「少子化対策のために出産を奨励するのは、高齢化対策のために早死を奨励するのに似ている」(2000-05-19「読売」の栃木版金曜随想)と書いています。「人口が減って困るなら人口を増やせばいい」と言うなら「高齢者が増えて困るなら、高齢者に死んでいただけばいい」ということになるのか、というブラック・ユーモアです。

ところが国では後期高齢者医療制度を創設に地方に押し付けて、このブラック・ユーモアを現実の政策としているのですから、笑えません。

そうしたことからも、人口が減って困るなら人口を増やせばいい、という発想が正しいとは思えません。

2008-05-10朝日の「異見新言」欄に東京大学准教授(社会学)赤川学氏が「「少子化対策」はやめよう」という題の文章を書いています。そこには、次のように書かれています。

「1人の女性が一生に産む子どもの数を示す合計特殊出生率について、国立社会保障・人口問題研究所は05年の1.26から、最も希望的に見積もると55年には1.55にまで回復する可能性があるとする。だが、それでも出生数は05年の106.5万人から、55年には67.5 万人に減る。女性の数が少なくなるからだ。つまり、出生率が劇的に回復しても、生まれる子どもは4割も減ってしまうのだ。

阿部氏はこのことを理解できていないと思います。いつになったら理解するのでしょうか。職員が理解しているかは、不明です。この討論の「子育て・教育政策について」のテーマでは、年度別出生数のグラフを示して、第3子対策事業で効果があったと言っていましたが、非科学的な主張です。過去記事鹿沼市の少子化対策が功を奏したのかに書いたように、2006年に出生数が増加に転じたのは全国的な傾向です。 また、鹿沼市長が争点つぶし作戦に出たに書いたように、全国の2007年の出生数は前年に比べ 1,341人減の112万937人でしたから、ほぼ横ばいで、特に少子化対策にカネを使わなくても出生数が増えた自治体も相当数あったと思われます。

なぜ近年全国的に出生数が増加傾向に転じたのかについては、真性団塊ジュニア世代(1972〜1981年生まれ。26〜35歳。Wikipediaの「団塊ジュニア」参照)の女性が30歳台にとどまっていて、最後の産む努力をしているためと推理するのが妥当ではないでしょうか。彼女らが40歳台に入っていけば、彼女らは産まなくなるでしょうし、その次の世代は数が少ないのですから、出生数が増えるはずがありません。

実際に鹿沼市の年齢別人口構成を見て検証してみましょう。2008-04-30現在、鹿沼市に住民登録のある日本人は、男女とも60歳が最多です。60歳の女性は、911人います。この団塊の世代の子どもたちの数が34歳でピークを描いています。真性団塊ジュニア世代より若い世代の女性の人口はどうなっているのかというと、次のとおりです。
34歳 783人
24歳 557人
14歳 505人
4歳 451人

現在の人口水準を30年後まで維持しようとすれば、現在1.45くらいの出生率を3.5くらいに上げなければなりませんから、現状維持さえ到底無理です。

人口減少が避けられないのなら、人口が減っても困らない社会の仕組みをつくることに努力すべきでしょう。赤川氏は、次のように書きます。

そもそも少子化や人口減少「問題」の本質は、たかだか国内における世代間や世代内での財とサービスの再配分の問題にすぎない。いたずらに悲観することなく、人口減少、高齢化、経済活動の縮小を前提として、いかなる社会が自由で公平かを構想し続けていけば、それでよいのだ。

阿部市政が少子化対策、人口増加政策にこだわるために「人口減少、高齢化、経済活動の縮小を前提」とした社会の構築するための取組において鹿沼市が遅れをとる可能性があるということです。また、阿部氏は2007年度は少子化対策事業に15,450件の利用があったと自慢しますが、その費用の額は討議資料にもホームページにも書かれておらず、費用対効果を度外視していますから、真に必要な政策のための予算が確保できなくなる可能性もあります。

阿部氏は、暴力団組長との密会事件について「あさはかだったんです。深く反省しているところです」(2008-03-27朝日)と言いますが、人口増加政策のために人とカネを使う方がもっとあさはかだと思いますし、反省してほしいと思います。

鹿沼市の人口は、粟野町との合併時の2006-01-01現在104,052人でした。2008-05-01現在103,373人です。2年半で679人減少しています。鹿沼市は、早く、人口が減っても困らない自治体へと舵を切ってもらいたいと思います。

なぜ阿部氏が科学を無視してまで、かたくなに、最重要施策として人口増加政策にこだわるのでしょうか。ヒントはダム問題にあると思います。国はこれまで水資源開発促進法を根拠としてダム等の施設による水源開発を進めてきました。水資源開発促進法第1条には、「産業の開発又は発展及び都市人口の増加に伴い用水を必要とする地域に対する水の供給を確保するため」と書かれています。ダムや河口堰による水源開発をするには、「産業の開発又は発展及び都市人口の増加」という前提が法律上必要なのです。阿部氏は、ハコもの行政の前提として右肩上がりの産業や人口を必要と考えているように思えてなりません。

「産業の振興」については、阿部氏が2番目に、佐藤氏が3番目に挙げています。人口が減るということは、物を作っても買う人が少ないということであり、作る人も少ないということですから、だれが市長をやっても産業が目覚ましく振興するということはないと思います。「産業の振興」を重要政策に挙げざるを得ないのかもしれませんが、ここでも経済の規模が収縮しても困らない方策を考えていく方向に早く舵を切る必要があると思います。

「開かれた市政」を阿部氏は3番目に、佐藤氏は1番目に重要政策として挙げています。この差には意味があると思います。現在の市政が民意に基づいているかどうかという点についての認識の差だと思います。

福田武市長の時代には、巷では「市の重要政策は市役所の外で決められる」と言われていたように、取り巻き連中が市長を動かす形で鹿沼市を牛耳っていたという批判があり、阿部氏の当選につながったと思います。阿部市政になってからは、市民からの苦情に対してきめ細かく対応するという良さもあったかもしれませんが、私たちは、ダム問題については、最初から民意をないがしろにされたと思っています。あれから8年。民意軽視という点では、福田市政の末期と同様の状態になっていると思います。佐藤氏が一番目に挙げるのは当然だと思います。

●観光はほどほどにしてほしい

「産業の振興」というテーマでは、あまり差がなかったように聞こえました。阿部氏が観光の振興(新鹿沼宿の建設)を訴えていましたが、佐藤氏は観光の話はしていませんでした。鹿沼に観光客はほどほどにしか来ないでしょうから、投資もほどほどにしてほしいと思います。

●林業政策の失敗をどうする

鹿沼市内には不健全な黒木山がたくさんあります。伐れば赤字になるし、放置すればスギやヒノキの花粉がアレルゲンとなります。明らかな林業政策の失敗ですがだれも責任をとりません。何とかしてほしい、せめて間伐ぐらいできないものかと考えるのは私だけでしょうか。どちらもこの問題には無関心のようです。

●財政調整基金はいくら残っているのか

阿部氏は、財政調整基金は9億円残っているから、市の財政は大丈夫と言っていましたが、2008-03-29朝日には、鹿沼市の2006年度の基金残高は8億円弱と書かれています。「07年度末にはさらに約4億円減る見込みだ。」と書かれています。したがって、07年度末には、4億円に満たないことになります。ところが阿部氏は9億円残っていると言います。どちらが本当なのでしょうか。

経常収支比率が高いので独自の政策が打ち出せませんが、どちらも触れていませんでした。

●コバンザメ商法は時代錯誤ではないのか

中小・地元企業振興策について、阿部氏は、「中小企業に仕事を(下請けに)出す大企業をいかに誘致できるかが鍵」(佐渡ケ島氏)と言っていましたが、このような言わばコバンザメ商法は時代錯誤ではないでしょうか。

●ついでに阿部氏側の討議資料にコメントする

最近になって阿部氏陣営の元気な鹿沼を守る会の発行する討議資料を入手しました。

「嘘はつけない!真実しか言えない!」と書いてあります。何が嘘なのかと思うと、松井正一後援会発行のMSSC通信に堆肥化センターの「(年間?)管理費が5000億円?はうそ!」と書かれています。うそというのは意図的につくものです。間違いとうそは違います。20億円程度の施設の年間経費が5000億円かかるはずがありませんから、明らかな間違いです。鬼の首でも取ったように「うそ!」と書き立てる阿部陣営に焦りがあるのでしょうか。

JR新駅問題は、「市民の声を聞いて」と書いてありますが、「市民」がくせ者です。暴力団関係者は市民に含まれるのでしょうが、私たちのようなダム反対派住民は、市民として認められるのでしょうか。

●ダム賛成の政治家は落選する

ダムに賛成する政治家は落選するという説を唱える人がいます。8年前福田市長はダム促進だったし、渡辺文雄元知事もダム推進・促進だったし、福田昭夫氏も当選したときはダム見直しを公約にしましたが、東大足川ダムは中止したものの、思川開発の縮小継続を打ち出して落選しました。今回、阿部氏が南摩ダム促進で、佐藤氏は国で政権交代が起きれば、南摩ダムが中止になるかもしれないと言っており、少なくとも南摩ダムでためた水を鹿沼市が使う必要はないと言っています。建設した方がいいとは言っていません。市民の審判に注目したいと思います。

(文責:事務局)
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