瑕疵の判断枠組み論に争いはない(その2)(鬼怒川大水害)

2022-02-23

●今回記事の結論

今回の記事は、過去記事瑕疵の判断枠組み論に争いはない(鬼怒川大水害)の続編です。

そこでは、三坂町での破堤に関する原告ら準備書面(8)について、瑕疵の判断枠組み論に争いはないと書きました。

今回は、若宮戸での溢水の原因のうち、無堤防の放置(予備的主張)についても同様に争いがないという話です。(若宮戸の争点は、河川区域の指定をめぐる主位的主張と無堤防の放置をめぐる予備的主張に分かれており、今回記事は、後者、つまり無堤防の放置についての瑕疵の判断枠組みに争いはないという話です。河川区域の指定に関する瑕疵の判断枠組みについては争いがあります。)

●若宮戸での無堤防をめぐる瑕疵の判断枠組みに関する原告側の主張

若宮戸での無堤防をめぐる瑕疵の判断枠組みについて原告側は、原告ら準備書面(9)(リンク先はcall4)p23〜24において、次のように主張します。

(5) 以上のとおり、鬼怒川の改修計画(公開されているのは鬼怒川直轄河川改修事業)は、本来優先して改修(堤防整備)をしなければならない若宮戸地区を放置し、それより優先度の高くない他の地区の改修(堤防整備)を優先させているものである。

これは、調査官解説(甲29)第三図において、若宮戸地区は、当該改修段階で有すべき安全性を有していないので、それを有するように改修(堤防整備)がなされなければならないのに、それが計画されて実施されていない旨の瑕疵の主張(斜め直線の下の白の実線囲い部分)、すなわち過渡的安全性を有してないのに、それを有するように改修されていないという主張である。若宮戸地区について、過渡的安全性を有していないにもかかわらず、堤防整備をしないものとなっている鬼怒川の改修計画は、他の改修部分との間で、改修工事の順序・時期において著しく不合理であったとの瑕疵の主張である。

上記の若宮戸地区の堤防整備を放置し、それより優先度の高くない他の地区の堤防整備を優先させたことは、格別不合理なものである。
よって、被告の鬼怒川の河川管理には瑕疵がある(国家賠償法2条)。

調査官解説(甲29)第三図とは、下図です。原告ら準備書面(9)では引用されていないので、原告ら準備書面(8)p6から引用しました。野山解説に原告側がBと数字を加筆しています。

第三図

●原告側は無堤防を緊急性の問題とは考えない

上記の主張が妥当であるかを順に検討します。

原告側は、「鬼怒川の改修計画(公開されているのは鬼怒川直轄河川改修事業)は、本来優先して改修(堤防整備)をしなければならない若宮戸地区を放置し、それより優先度の高くない他の地区の改修(堤防整備)を優先させているものである。」と言います。

原告側の予備的主張は、「河畔砂丘は堤防の役割を果たしていなかった」旨の被告の主張(答弁書p10)を前提としています。(予備的に被告の主張に乗っかるのが賢明だったかは疑問です。原告側は、主位的・予備的主張の区別もせずに、「被告は、鬼怒川の管理開始以来、若宮戸地区については、概ね20〜30年の治水事業の過程における河川の改修、整備の段階に対応する安全性(段階的安全性・過渡的安全性)を、すでに満たしていると判断しているものである。それゆえ、2003年度に築堤の詳細設計(甲4『若宮戸地先築堤詳細(ママ)設計業務報告書』)をしておきながら、その報告書をお蔵入りにして改修事業に反映させることはなく、若宮戸地区の築堤は鬼怒川の改修計画(鬼怒川直轄河川改修事業)に入らなかったものと考えられる。」(原告ら準備書面(9)p17)と言ったかと思えば、「被告は、2003年度に、砂丘林の稜線地盤が計画高水位よりも低い25.35kmを含む24.5km付近〜26km付近の約1.5kmの区間について築堤の詳細設計をした(甲4『若宮戸地先築堤設計業務報告書」、甲20、甲21)。このことは、被告が、若宮戸地区の築堤の必要性を認識していたことを示している。」(同p23)と正反対のことを言うのですから、裁判所も面食らうと思います。また、被告の「河畔砂丘は堤防の役割を果たしていない」という主張は、「全く果たしていなかった」という全面否定なのか、「ある程度は果たしていた」という部分否定なのか、を明確にしないで議論を進めてよいのか、という問題がありますが、原告側は、被告は全面否定しているとの前提だと思います。)

したがって、若宮戸には、堤防もなければ、堤防に代わるものもない、まるきり無防備の状態であるという前提で瑕疵の主張の類型を検討することになります。

そして、若宮戸は、氾濫が起きれば甚大な被害が発生する場所です。

それでも、原告側は、若宮戸での築堤は、緊急性の問題ではなく、改修計画において優先順位を間違えただけだと捉えています。

そうだとすると、大東判決の「緊急に改修を要する箇所から(治水事業を行う)」という規範は、どんな場面に適用されると原告側は考えるのでしょうか。

大東判決は、「緊急に改修を要する箇所から段階的に、また、原則として下流から上流に向けて行うことを要するなどの技術的な制約もあり」と言っています。

つまり、治水事業には、まず、「緊急に改修を要する箇所から段階的に」を実施するという技術的制約があり、次に、「原則として下流から上流に向けて行うことを要する」という技術的制約もあると言っています。

大東判決に異論はないという立場の原告側が、なぜ、大東判決がまずもって説く、「緊急に改修を要する箇所から」実施せざるを得ないという技術的制約(同時に「緊急に改修を要する箇所から」実施すべきである、という規範でもある。)を無視するのかが分かりません。

原告ら準備書面を読んでも、「管理者には、緊急に整備を要する箇所を緊急に整備する義務がある」という発想が感じられません。

そもそも、「緊急」とか「堤防の築造義務」という発想が感じられません。

●安全性を有しないという捉え方は正しい

原告側は、「これは、調査官解説(甲29)第三図において、若宮戸地区は、当該改修段階で有すべき安全性を有していないので、それを有するように改修(堤防整備)がなされなければならないのに、それが計画されて実施されていない旨の瑕疵の主張(斜め直線の下の白の実線囲い部分)、すなわち過渡的安全性を有してないのに、それを有するように改修されていないという主張である。」(原告ら準備書面(9)p23〜24)と言います。

大東判決の公権解釈とも言うべき野山宏・最高裁判所調査官(1996年当時)の判例解説によれば、水害訴訟における瑕疵の主張には、「内在的瑕疵」を主張するものと「改修の遅れ」を主張するものとがあるとされています。

原告側は、若宮戸における無堤防についての瑕疵は、内在的瑕疵であるとし、第三図の斜線の下の2に該当すると言います。

第三図

しかし、無堤防の瑕疵を第三図で説明するのは無理があります。

なぜなら、第三図は、一応の整備がなされている場合を想定した図だからです。棒における網掛けのある3の部分は、一応の整備がなされていることを意味します。

野山は、堤防も堤防に代わるもの(堤防類地)もない状況を想定しないで第三図を描いたと思います。(そもそも、「改修」という言葉の意味は、「悪いところを改め作りなおすこと。手を入れて作りなおし、よくすること。」(精選版 日本国語大辞典)とか「道路・建物などの悪い部分を直すこと。」(デジタル大辞泉)です(以上コトバンク改修から)。つまり、道路、建物、堤防などの工作物が設置されていることを前提としています。河川管理者や裁判所が治水を語る場合に、いきなり「改修」という語を用いるのは、河川で堤防が必要な箇所には大昔から既に堤防が設置されていることを想定しているからだと思います。鬼怒川のような大河川において、若宮戸地区のように、溢水すれば大水害となる場所で、およそ1.5kmにわたり、堤防も(被告によれば)堤防類地もない状態になっていることなど誰も想定できないことです。誰も想定できないような異常な状況を野山の第三図に当てはめて答を出そうとしている点で、当事者双方とも間違っているのではないでしょうか。)

私は、若宮戸の状況は、第三図で図示すれば、赤丸の位置になると思います。

第三図無堤防

斜線より上の部分は、「より上位の安全性を有するべきである旨の瑕疵主張」であり、「より」という以上、一応の整備はなされていることが前提であるところ、若宮戸では、一応の整備がなされておらず、完全に無防備という前提で考えるのですから、そこでの安全性を求める主張は、「より上位」の安全性を有するべきである旨の瑕疵主張になるはずがありません。

斜線のすぐ下の2の部分は、「予定される安全性を有しない旨の瑕疵主張」と解説されていますが、若宮戸の無堤防区間では、被告によれば、堤防の役割を果たすものはなかったというのですから、「予定される安全性」どころか、いささかの安全性も有していなかった(答弁書p10)のであり、安全性のレベル(縦軸)はゼロです。そして、いささかの整備もされてないのですから、「改修段階」(横軸)もゼロです。

したがって、被告の主張を前提とすれば、若宮戸の状況は、被告が直轄工事を始めた1926年から2015年まで第三図の原点の位置(赤丸)にあったと言えると思います。

第三図の原点に当たるとの瑕疵の主張は、斜線のどちら側にも属さないので、どちらの瑕疵に分類すべきかは、第三図からは一見して明らかではありません。

しかし、安全性がゼロの段階なので、一定の安全性を有することを前提とした上で、「より上位」の安全性を求める瑕疵主張でないことは確かなので、斜線の上(改修の遅れ)に分類する選択肢はあり得ず、斜線の下(内在的瑕疵)に分類するしかないと思います。

つまり、原点は、過渡的安全性が確保されている状況ではないので、斜線の下に分類すべきです。

したがって、原告側が若宮戸の無堤防状態を斜線の下側の2と捉えていることは、多少なりともの安全性(3の部分)が確保されているという誤解を招くという問題があるのですが、結果としては、斜線の下であると捉えていることには賛成できます。

分からないのはここから先です。

●内在的瑕疵の観点からの瑕疵の主張の場合には大東判決要旨二は適用されないはずだ

原告側は、「若宮戸地区について、過渡的安全性を有していないにもかかわらず、堤防整備をしないものとなっている鬼怒川の改修計画は、他の改修部分との間で、改修工事の順序・時期において著しく不合理であったとの瑕疵の主張である。」と言います。

骨組みだけにすると、「改修計画は著しく不合理であった」との瑕疵の主張であると言います。

これは、(大東判決要旨一の他に)大東判決要旨二を適用してくれ、と言っているということです。

しかし、前項で見たように、原告側は、無堤防についての瑕疵の主張は「内在的瑕疵」であるとの主張であると言っていたのです。

内在的瑕疵であるとの主張である場合には、一般的(概括的)瑕疵判断基準である大東判決要旨一が適用されるのであって、大東判決要旨二は適用されない、というのが野山解説の説くところです(最高裁判所判例解説民事篇1996年度p498、p501)。

瑕疵の主張が「改修の遅れ」の場合には、要旨一の他に要旨二も適用されるので勝訴が難しくなります。

したがって、原告側が、無堤防の放置は内在的瑕疵であると言いながら、野山解説に逆らってまで、計画の合理性を瑕疵判断の基準とする(原告側に不利な判断基準の適用を求める)理由が分かりません。

●河川区域の指定に関する原告側の主張と矛盾する

上記のとおり、原告側は、無堤防の放置についての瑕疵は内在的瑕疵だと言っているにもかかわらず、「改修計画は著しく不合理であった」との瑕疵の主張であると言っているので、野山解説に反して、大東判決要旨二(計画の合理性)の適用を求めていることになります。

しかし、若宮戸のもう一つの論点である河川区域の指定についての瑕疵の類型については、「内在的瑕疵と共通するところがある」(原告ら準備書面(9)p22)と言い、判断基準については、「大東水害判決のうち、「河川管理の特殊性」と判決要旨一の判断基準が適用されることはあっても、改修事業の実施に係る判決要旨二の判断基準は適用されるものではない」(同p21)と言っているのですから、計画の合理性は基準とならない、と言っていることになり、野山解説に従っています。

また、大東判決要旨一を具体化した基準として、「河川がその改修整備の段階に対応する安全性を備えていない場合には河川の管理に瑕疵があり、右の安全性の有無は、右の改修整備の段階において対処することが予定された規模の洪水における流水の通常の作用から予測される災害の発生を防止するに足りる安全性を備えているかどうかによって判断すべきである。」(同p18。野山解説p499)という基準と、改修途上の河川に適用される「水害発生の時点において既に設置済みの河川管理施設がその予定する安全性を有していなかったという瑕疵があるか否かは、右施設設置の時点における技術水準に照らして、右施設が、その予定する規模の洪水における流水の通常の作用から予測される災害の発生を防止するに足りる安全性を備えているかどうかによって判断すべきである。」(同p18。平作川最高裁判決要旨二)という基準も適用されると書いており、これも野山解説に従っています。

要するに、原告側は、無堤防についても、河川区域の指定についても、どちらも瑕疵の類型は、同様に、内在的瑕疵型であると判断しながら、瑕疵の判断基準は、無堤防の放置をめぐる瑕疵の判断基準については大東判決要旨二(計画の合理性)であると言い、河川区域の指定をめぐる瑕疵の判断基準については大東判決要旨一(過渡的安全性の有無)だと言うのですから、矛盾していると思います。

●三坂町の破堤も含めて瑕疵の主張の類型を整理した

原告側の主張による瑕疵の主張の類型及び瑕疵の判断基準等を整理したものが下図です。

原告側は、三坂町での破堤と若宮戸での無堤防の放置については、野山解説をそっちのけにして、瑕疵の判断基準を設定していると思います。

野山解説のどこをどう読むと、内在的瑕疵の場合に「◯○の合理性」という判断基準になるのか分かりません。

瑕疵主張類型

準備書面は、call4のサイトを参照ください。

●「整備の優先順位を誤って氾濫した区間を整備しなかったことが瑕疵である」という主張を追加した理由
【改修計画の存在の立証不能問題への対処】

上記のとおり、原告側は、概要「改修計画は著しく不合理であったことが瑕疵である」と主張するのですが、ではその「改修計画」とは何かというと、工事の場所と施工時期を書いた計画書は、2011年度事業再評価資料(2011年度鬼怒川直轄河川改修事業)と2014年度のそれしかないのです。(被災前には。)

原告側は、河川改修事業が「行き当たりばったりのものであるはずはなく」(原告ら準備書面(1)p11)、公表されていない改修計画書が「必ず存在する。」(同)と言いますが、被告は、整備実績は説明していますが、改修計画書の存在については答えておらず、存在しないのが実態だと思います。

被告は、来年度どこを施工するかを今年度決めていたのだと思います。それが下館河川事務所のサイトに毎年度4月1日に掲載されていた「○○年度事業概要」です。

河川整備基本方針、工事実施基本計画の一部及び「堤防高が不足している区間から築堤を実施」(「2002年度鬼怒川改修事業」p13)するという方針は、改修計画の上位の方針ではあっても、それら自体では、大東判決のいう「改修計画」ではないはずです。なぜなら、計画で工事の時期が決まっていなければ、「当初の計画の時期を繰り上げ、又は工事の順序を変更するなどして」(大東判決)という規範を適用できないし、また、漠然とした方針が格別に不合理であるはずがなく、漠然とした方針を基準に瑕疵を判断すれば原告必敗となりますが、国家賠償法第2条の趣旨は、きれいごとと批判されるかもしれませんが、被害者が賠償を受ける権利を保障するものであり、原告必敗ではないはずだからです。

そうだとすると、「改修計画は著しく不合理であったことが瑕疵である」という主張では、改修計画の存在を前提としているので、改修計画がなかった時代(鬼怒川では2010年度以前)の被告の責任を問えないことになります。

そうなっては、不都合なので、原告側は、「計画」という語が入らない、「上記の若宮戸地区の堤防整備を放置し、それより優先度の高くない他の地区の堤防整備を優先させたことは、格別不合理なものである。」という一文を加える必要があったのだと思います。(なお、「若宮戸地区の堤防整備を放置し」は、「若宮戸地区を無堤防のまま放置し」とでもしないと、日本語としておかしいと思います。)

【因果関係の立証不能問題への対処】

また、この一文は、改修計画の呪縛から逃れるという意味の他に、因果関係を立証することも意識したと思います。

通常、事実的因果関係は、「あれなければこれなし」で証明します。

「改修計画は著しく不合理であったという瑕疵があったから損害が発生した」をひっくり返して、「改修計画が格別に不合理でなければ損害は発生しなかった」と言ってみても、因果関係を証明したことになりません。

机上の計画がどんなに合理的であっても、計画しただけでは損害の発生は防げないのであって、損害の発生を防止するには、実際に堤防が完成していることが必要だからです。

「瑕疵がなければ損害発生を防げた」と言って因果関係を立証するためには、「堤防整備をしなかったことが格別に不合理であり瑕疵である」と、実際の河川の状況を主張しておく必要があったのだと思います。(詳しくは、大東水害訴訟最高裁判決の理論では事実的因果関係が立証できない(鬼怒川大水害)その2を参照)

ただし、原告側が「上記の若宮戸地区の堤防整備を放置し、それより優先度の高くない他の地区の堤防整備を優先させたことは、格別不合理なものである。」というように瑕疵の主張を修正したことによって、新たな問題が発生します。

●原告側は大東判決要旨二の趣旨をずらしている

「整備しなかったことが格別に不合理」と主張することで生じた新たな問題とは、大東判決要旨二との齟齬です。

大東判決要旨二には、次のように書かれています。

既に改修計画が定められ、これに基づいて現に改修 中である河川については、右計画が全体として右の見地からみて格別不合理なものと認められないときは、その後の事情の変動により当該河川の未改修部分につき水害発生の危険性が特に顕著となり、当初の計画の時期を繰り上げ、又は工事の順序を変更するなどして早期の改修工事を施行しなければならないと認めるべき特段の事由が生じない限り、右部分につき改修がいまだ行われていないとの一事をもつて河川管理に瑕疵があるとすることはできないと解すべきである。

骨組みだけにすると、「右計画が格別不合理なものと認められないときは改修がいまだ行われていないとの一事をもつて河川管理に瑕疵があるとすることはできない」となります。(「一事をもつて・・・することはできない」という言い回しからか、最高裁が解釈で抗弁事由を定めたという説もありますが、無視されており、瑕疵の判断基準を示したと一般に解釈されています。)

「計画が格別に不合理である場合に限り瑕疵がある」、逆に言えば、「計画が格別不合理でなければ河川が安全性を欠いていても瑕疵はない」と言っていると一般に解されています。(ただし、野山によれば、瑕疵の主張が「改修の遅れ」である場合に適用される基準です。)

あくまでも「計画」の格別不合理性で瑕疵を判断すると言っています(野山によれば、ですが)。

ところが、原告側は、「上記の若宮戸地区の堤防整備を放置し、それより優先度の高くない他の地区の堤防整備を優先させたことは、格別不合理なものである。」と言います。

つまり、被告が優先度の判断を誤った結果、堤防整備を怠ったこと(その結果、堤防が存在しないこと)が格別に不合理であり瑕疵である、と言っています。

大東判決では、瑕疵の主張が「改修の遅れ」である場合、一見まともそうに見える計画があれば瑕疵はないよ、書類さえ整っていれば責任はないよ、と判示しているのに、原告側は、書類(計画書)の問題はさておき、堤防が整備されておらず、河川が実際に、物理的に危険な状態にあり、他の箇所の整備状況と比較して、格別に不合理であると評価される場合は瑕疵があると主張します。

つまり、大東判決要旨二は、瑕疵の有無を机上論で判断すると言っているのに、原告側は、物理的な状況(改修工事の実績)の評価(合理性)で判断すると言うのですから、大東判決要旨二の趣旨をずらしていると思います。

確かに、大東判決は、最高裁判所のサイトの判決書p8で「改修計画及びその実施の状況」と言っており、計画だけではなく、「その実施の状況」、つまり、物理的な状況も合理性の判断の対象としているので、原告側の主張は大東判決と整合する、という意見もあろうかと思いますが、上記判決書p8での判示は、過渡的安全性を超える安全性の有無を判断する対象としての「実施の状況」であるところ、原告側は、無堤防における瑕疵は、「実施の状況」が著しく不合理であれば内在的瑕疵にあると言っているのですから、次元の違う話であり、整合しません。

野山解説も「「大東判決要旨二」は、改修計画に基づき現に改修中の河川の瑕疵の有無についての判断基準を示したもので、(1)「改修計画の合理性」を河川管理の一般水準及び社会通念に照らして判断し、(2)「計画の実施の仕方」につき事情の変更(判決書では「変動」)により計画を修正して早期の改修工事を実施すべき特段の事由がなかったかを判断すべきことを説示する。(略)この判断基準は、河川について計画行政における行政の裁量を認めたもので、この基準の適用については、河川の管理には諸制約があることを前提に考えても、著しく水準から逸脱して社会通念からも是認できないような計画の策定・実行に限って瑕疵があると判断されることになろう(注四)。」(野山解説p497〜498)と解説し、上記判決書の「改修計画及びその実施の状況」を「計画の実施の仕方」とか「計画の策定・実行」という言葉に換えてはいますが、「大東判決要旨二」(野山の第三図の斜線の上側に適用される基準。瑕疵の主張が「改修の遅れ」型である場合。)の上記(2)の説示事項(大東判決の表現では「その後の事情の変動により当該河川の未改修部分につき水害発生の危険性が特に顕著となり、当初の計画の時期を繰り上げ、又は工事の順序を変更するなどして早期の改修工事を施行しなければならない」)として「実施の状況」の意味が説明されています。原告側は、工事時期の繰上げや順序の変更を主張すれば内在的瑕疵になると主張している(原告ら準備書面(8)p8)のですから、原告側のいう「実施の状況」と野山解説(大東判決の公権解釈)のいう「計画の実施の仕方」とは異なるものです。

●「大東判決要旨二」で瑕疵があるとされる可能性のある事例とは

ちなみに、上記の(注四)を読むと、「大東判決要旨二」の基準に照らして問題にされることとなろう、と考えられる例(「著しく水準から逸脱して社会通念からも是認できない」となり得る例)を、加藤和夫という調査官が1984年度の判例解説で挙げており、「[前者]地域エゴや政治力の差等によってある河川につき一般水準に照らし低い安全性しか確保できていない状況や、[後者]流域住民の生命の危険が予測されるのに改修が後回しにされる状況」([ ]は引用者)であるとされています。

前者は、河川全体の安全度が低い状況を指しているのかもしれませんが、河川の一部(例えば鬼怒川下流部)のみの安全度が低い状況を除外する理由はないと思われ、そうだとすると、ダム偏重の河川行政を批判する必要があると思います。あくまでも計画の合理性の土俵で闘う以上は。それにしても、「一般水準に照らし低い安全性しか確保できていない状況」とはいえ、「大東判決要旨二」が適用されるということは、「段階的安全性・過渡的安全性」は確保されているということですから、並大抵の洪水では氾濫しないはずであり、「一般水準に照らし低い安全性しか確保できていない状況」とは、どの程度の安全性の欠如を指しているのか想像ができません。

後者の場合も、「段階的安全性・過渡的安全性」が確保されていて、なおかつ、「流域住民の生命の危険が予測される」状況とはどんな状況なのか想像がつきません。また、まさに、鬼怒川下流部左岸の状況を指しているようにも思われますが、鬼怒川の場合は、「段階的安全性・過渡的安全性」が確保されていなかったのですから、後者には該当しません。

ともあれ、「流域住民の生命の危険が予測されるのに改修が後回しにされる状況」であったことを原告側が証明すれば勝てることになります。

しかし、原告側は、「若宮戸の河畔砂丘においては、2004年には、「下流端部」では、計画高水位より1.850mも低い箇所があり、「養鶏場上流の低地部」では、計画高水位より1.08mも低い箇所があったのです。」(若宮戸の河畔砂丘にも計画高水位より低い箇所があった(鬼怒川大水害))と言える状況にあったにもかかわらず、原告側は、(おそらくは2012年時点で)「(段階的安全性・過渡的安全性)をすでに有していたものと認めることができ」る、と主張します(原告ら準備書面(9)p17。主位的主張です。)。

(三坂町の破堤については、原告側は、2011年度のL21.00kの堤防高がY.P.21.04m(計画高水位+0.21m)であることを否定しません(原告ら準備書面(8)p29)。舗装面が「堤防高」より30cm程度低かったことを指摘してはいますが、堤防高を盛り土の頂上で計測することが違法だとは言いません。被告が堤防高を偽装していたとは捉えず、堤防高の計測は適法だが、天端の構造が脆弱だったと言うだけでは、「流域住民の生命の危険が予測され」ていたことを原告側が主張したとは、裁判所は受け取らないと思います。また、L21.00kでは、盛り土の頂上で堤防高を計測するというやり方を2001年度測量でも行っている(2001年度のL21.00kの堤防の横断図は、左岸21kの堤防の盛り土は1964年度からあった(鬼怒川大水害)参照)のに、原告ら準備書面(10)別紙では、2001年度のL21.00kの堤防高21.270mを真に受けて、同地点の流下能力が4393m3/秒であると計算していますが、L20.00kの流下能力4278m3/秒よりも115m3/秒大きくなり、L21.00k付近が最も危険だったことを説明できていません。舗装面の高さ(20.92m。盛り土の頂上より0.35m低い。)で流下能力を計算すれば4140m3/秒となり(H Q式の係数A=30.56、係数B=-9.28)、偽装された堤防高で計算した4393m3/秒よりも253m3/秒も小さくなります。原告側は、「洪水位が現況堤防高を超えた場合は、必ず越水する」と強調しますが、このことは、「洪水の水位が堤防高を越えなければ越水しない」という意味でもあるはずです。また、「堤防整備(築堤)の時期・順序は、現況堤防高及びその流下能力によって定めらなければならない」(原告ら準備書面(10)p9)と言うのも、「洪水の水位が堤防高を越えなければ越水しない」ことが前提のはずです。ところが、2015年に洪水の水位が「堤防高」に達する前に越水が起きたことを原告側は示しています(原告ら準備書面(8)添付図)。それでも、原告側は、「堤防高」未満の水位の洪水で越水が起きる「堤防高」のカラクリ(連続性のない盛り土の頂上の高さを堤防高として扱うこと)の違法性を指摘しないだけでなく、その「堤防高」で流下能力を計算して議論しています。「洪水の水位が堤防高を越えなければ越水しない」という前提が成り立たない「堤防高」のデータを争うことなく、適法に測量された堤防高として扱い、それを基に高さや流下能力を議論することは矛盾しているだけでなく、被告が堤防高の偽装という違法な管理をしてきたことを覆い隠すことでもあると思います。
原告側としては、L21.00k付近では(違法ではないが)堤防天端の高さが横断方向に均一ではなく「危ない状態にあった」ことを主張したのだからそれで十分であり、つまり、言うべきことは言ったのであり、堤防高を偽装したと騒ぎ立てるほどの問題ではない、と考えているのでしょう。しかし、そもそも、なぜ堤防高を測量するのかと言えば、堤防の実力(実際の防災機能。堤防高までの水位の洪水の越水を防ぐ能力)を把握するためであるはずであり、そうであれば、下駄を履いて身長測定をするような堤防測量、すなわち、堤防の本当の実力を把握できない測量にはルール違反(違法)があると主張しなければ、必要かつ十分な主張をしたとは言えないと思います。「危ない状態にあった」とまで言いながら、そのこと自体には違法と評価できるものはない、という考えは、独特だと思います。)

野山は、加藤和夫の解説を無批判に紹介しているのですから、「段階的安全性・過渡的安全性」が確保されていて、なおかつ、「流域住民の生命の危険が予測される」状況があり得ると言っていることになりますが、そのような状況などないと思われ、そうだとすると、野山の説が破綻していることになります。

●当事者間に争いはない

被告は、被告準備書面(6)p11において、「若宮戸地区における河川管理の瑕疵としては、「改修の遅れ」が問題となるのであって、大東水害判決の判決要旨二の判断基準が妥当すると解される。」と書きます。

原告側は、若宮戸の無堤防をめぐる瑕疵について、「過渡的安全性を有していないにもかかわらず、堤防整備をしないものとなっている鬼怒川の改修計画は、他の改修部分との間で、改修工事の順序・時期において著しく不合理であったとの瑕疵の主張である。」と言います。

「過渡的安全性を有していないにもかかわらず」と言うのですから、「内在的瑕疵」であり、「改修の遅れ」ではないと主張していますが、改修計画が格別に不合理であることが瑕疵だと主張しているので、「大東水害判決の判決要旨二の判断基準が妥当すると解される。」とする被告の主張に、結論的には同意しています。

つまり、三坂町での破堤と同様、若宮戸の無堤防についても、計画の合理性を瑕疵の判断基準とすることで当事者間に争いはありません。

(文責:事務局)
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