原告側はL21kの堤防天端の盛り土の高さが「約30cm」だったと主張した(鬼怒川大水害)その2

2022-07-23

●「横断方向にも危ない」という問題ではない

ここからは、原告ら準備書面(8)の本文の記述について検討します。

(なお、以下では、上記証拠説明書の記載を無視します。なぜなら、準備書面本文と証拠説明書とでは別の考え方で書かれており、両方を同時に視野に入れてコメントすることは極めて困難だからです。例えば、証拠説明書では、2011年度のL21.00kの天端幅は1.4mしかなかったと言っていますが、準備書面本文では、舗装面も天端であり、むしろ天端の本体であるとまで言っていて、添付図9でも天端幅は5.7m(2011年度)であることを示していると思われ、両者は矛盾します。)

原告側は、原告ら準備書面(8)p28の(4)の冒頭、「加えて、左岸21H付近の堤防は、堤防天端の高さが均一ではなく、横断方向にも危ない状態にあった。」と言います。

その意味は、L21.00kの堤防高は、2011年度測量で21.040mしかなく、左岸堤防の縦断図を見ても、そこそこ危険な状態にあったが、それとは別に、「横断方向にも危ない状態にあった。」ということになるはずです。

しかし、私は、堤防天端が2段構造になっていたという問題は、横断方向に危ないという問題ではなく、縦断方向に危ないという問題そのものだと考えます。

下段の高さを「堤防高」であると認識すれば、2004年度には計画高水位以下(マイナス1cm)だったのですから、そこそこ危険な状態というレベルではなく、縦断方向にも致命的に危険な状態だったことになります。

ここが原告側と私の考えの決定的かつ根本的な違いです。

原告側は、甲40は、河川横断図だから、「横断方向にも危ない状態」を証明する証拠だと考えているのだと思います。

私は、堤防を縦断的に観察した場合に、L21.00kの21.040m(2011年度)という「堤防高」が適法に測量されたと言えるのかを、河川横断図を使って検証すべきだと考えます。そもそも、「堤防高」とは何か、まで掘り下げることが必要です。

●本質を捉える視点は原告ら準備書面(7)と変わらない

「加えて、左岸21H付近の堤防は、堤防天端の_さが均一ではなく、横断方向にも危ない状態にあった。」という原告ら準備書面(8)p28の主張が、原告ら準備書面(7)p14の「加えて、左岸21H付近の堤防は、堤防天端の_さが均一ではなかった。」という表現とほぼ変わらないことからも分かるように、原告らの問題意識は以前と変わっていません。

堤防天端の高さが均一でなかったことが問題の本質だ、という主張です。

これを聞いて裁判所が「大事件だ」とは思わないでしょう。

主張の冒頭では、問題の本質を言うべきであり、この問題の本質を一言で言うと、破堤区間に係る堤防には計画高水位以下の箇所があり、被告は、そのような状態になるまで放置した、ということだと考えます。

この一言では、裁判所は理解できませんから、おおむね次のような主張をする必要があると考えます。

(1)前提として、背後地に人家がある場合は、堤防高を計画高水位より低い状態で管理することは許されないこと。
(2)前提として、L21.00k付近は堤防沈下が激しい箇所であること。
(3)前提として、堤防天端は原則として水平であるべきであり、例外は雨水の排水勾配に限られること。
(4)前提として、堤防の実力を表す堤防高の測量に支障を来し、雨水の排水を妨げる盛り土を天端面に設置することは許されないこと。
(5)前提として、本来の堤防高とは、堤防の実力を表す堤防高であるべきであり、連続性のある舗装面の高さであるべきこと。
(6)L21.00k付近の堤防に盛り土があったために、定期測量で正しい堤防高を測量することができなかったこと。
(7)L21.00k付近では、盛り土の頂上が堤防高として測量され、堤防高は虚構の堤防高となり、適正な高さ管理ができていなかったこと。
(8)L21.00kの堤防の堤防高(舗装面の高さ)は、2011年度には計画高水位を10cm下回っており、既に、その7年前の2004年度には、未舗装の道路であったが、計画高水位を1cm下回っていた(左岸21kの堤防の盛り土は1964年度からあった(鬼怒川大水害)参照)こと。(2011年8月時点では証拠が入手できておらず無理でしたが、2005年度に20.84m(H W L+1cm)であったことは主張できました。)
(9)2005年度には、破堤区間に係る築堤設計を実施したこと。
(10)舗装面が計画高水位以下になるまで築堤に着手しなかったのは、堤防高を別の場所(盛り土の頂上)で測量してきたためであると推測されること。

原告ら準備書面(7)と比較すると、原告ら準備書面(8)では、舗装面の高さが計画高水位以下だったことを指摘し、「見かけだけ計画高水位を満たしている」(p28)という表現が加わったのは進歩ですが、そこまで言うなら、見かけだけ安全に見える堤防高のデータで高さを管理してはいけないはずだ、と言えばよさそうなものですが、原告側にそういう発想はなく、つまり、そもそも堤防天端の2段構造などあってよいのか、という発想がないと思われることは、前記のとおりです。

原告側の問題意識は従前どおりです。

●瑕疵の判断枠組みについての考え方が問題の捉え方に影響している

上記のとおり、原告側は、せっかく「見かけだけ」と言ったものの、そこから先に、「見かけだけ」の管理ではおかしいではないか、なぜ「見かけだけ」の管理をしてきたのか、という問題には踏み込みません。

「なぜ」とか「そもそも」という視点が欠けているからだと思います。

上三坂地区で破堤したことの責任を問う裁判では、「異例な降雨」(被告準備書面(1)p50)により、下妻市枚方地点と常総市水海道地点で、「観測史上1位の水位」(同p36)と「既往最大となる流量」(同頁)が発生したにもかかわらず、他の箇所では破堤していないのに、なぜ上三坂地区でだけ破堤したのかを原告側は説明する必要があると思います。

堤防の高さについて言えば、そこでだけ堤防高(連続性があり、堤防の実力を表す管理道路面の高さ(つい「舗装面の高さ」と言ってしまいますが、L21.00k付近が舗装されたのは2007年頃と推測しています。)が低かったからであり、なぜそこだけ低いまま放置されたのかと言えば、そこにだけ盛り土があり、その頂上を「堤防高」として扱ったために、堤防の実力を正確に把握できず、築堤を急ぐ必要はないと考えたからだと思います。堤防高が計画高水位以下だという認識を持てば、被告もさすがに築堤を急いだでしょう。

しかし、原告側は、L21.00k付近がなぜ低いまま放置されたのか、という問題に言及しません。

言及しない原因は、瑕疵の判断枠組みについての理解に関係すると思います。

原告側は、堤防高が低かった、とか、流下能力が小さかったという、危険性を示す状態を説明する必要はあるが、その方法は、他の箇所と比較して安全性が低かったと主張すれば足りるという立場です。

しかし、大東判決要旨二の適用を求めるのであれば、そこには、「右の見地からみて」と書かれているのですから、諸般の事情を総合的に考慮した上で、「同種・同規模の河川の管理の一般水準」に照らして、是認しうる安全性を備えていると認められるかどうかを基準として瑕疵を判断するという作業をまずやった上で、計画の合理性を判断しろと言っているのですから、河川が危険な状態になった経緯(「同種・同規模の河川の管理の一般水準」はどうだったのか、それを守ったのか)を説明しないで勝てると考えることが妥当なのかは疑問です。

そもそも、上三坂地区と若宮戸地区の合計3箇所において氾濫が起きたのは、偶然ではなく、必然性があって起きたと考えるのが普通の発想だと思うので、そうだとすれば、その必然性を説明する必要があると思います。

「堤防高が低かったから」破堤した、と主張するのであれば、そもそも「堤防高」とは何か、という問題を避けて通るわけにはいかないはずです。

●図8を示した意味が分からない

原告ら準備書面(8)の別添で被災前の堤防の状況を示す図8が示されていますが、だからなんなのか、を言わずに、示す意味があるのでしょうか。

特に言いたいことはないが、とりあえず載せてみました、という発想だとしたら、効果があるのか疑問です。

鬼怒川堤防調査委員会の第1回会議の資料を引用することの問題点については、前回シリーズ記事に書いたとおりです。

●越水写真が縦方向に引き伸ばされている

破堤区間の堤防の形状について、原告ら準備書面(8)の図10には、下図のとおり、被災前及び越水時の写真を載せています。

原告ら準備書面(7)と違い、越水時の写真を加えたのはよいのですが、2点ほど問題があると思います。

写真

問題点の一つは、写真を縦方向に引き伸ばしていることです。

丸数字、漢字及び「21k」の表示が縦長になっていることに気づくと思います。

下図のとおり、原資料と並べてみると、原資料(右側の2枚)は、縦:横=7:10くらいなのですが、原告ら準備書面(8)の図10(左側の2枚。上の写真と同じ。)では、ほぼ1:1(つまり正方形)になっています。

縦に3割ほど伸ばしたことになります。

写真比較

なぜこのような小細工をするのか分かりません。

裁判所が一々原資料と照合するとは思えませんが、縦方向への引き伸ばしが露見した場合、イメージ操作をしたと思われるのは裁判所の心証を害することになり損だと思います。(原告側は何らかのイメージ操作をしたいのでしょう。)

二つは、図10のタイトルが「2015年9月洪水前の堤防状況」となっていることです。

丸数字2の写真は「越水時」の写真であり、「洪水前」の写真ではありません。

2枚まとめて「洪水前」と表示するのは無理です。

このタイトルでは、越水時の写真は見なくていいですよ、と言っているようなものではないでしょうか。越水時の写真は、ついでに貼っておきました、という程度の意味にしか伝わらないと思います。

また、越水を示す写真は、上の組み写真だけでよかったのか、も吟味するべきだったと思います。

●カッコが抜けている

原告ら準備書面(8)p28における図9の説明で「(21.0k横断図」」と書かれていますが、「(21.0k横断図)」」の誤りです。つまり、「)」(閉じかっこ)が抜けています。

そんな小さなことを書かなくてもいいじゃないか、お前のサイトだって誤字脱字は結構あるぞ、と言われそうですが、私も揚げ足取りをして喜ぶ人間だと思われるリスクを背負いながら、あえて書きます。

私は、準備書面がそのレベルでいいのかという話をしています。

被告の書面を読むと、中身はともかく、表記や読みやすさに気を遣っていることが分かります。

書面に誤記があったとしても勝てるときは勝てる、という見方もあるでしょうが、国相手の集団訴訟でもそう言えるのか疑問です。

書面に誤記が残っているということは、推敲が足りないということであり、理論的な破綻を見逃している可能性があるということです。

誤記を撲滅するくらいの覚悟が必要ではないでしょうか。

細かいことは気にしない、は人生訓としては賛成しますが、文書をチェックするには、一言一句についてこれでいいのか、という疑問を持つ姿勢が必要だと思います。

●開示文書の名称が違う

原告ら準備書面(8)p28に図9の出典が甲40であり、その名称が「H23鬼怒川下流部定期横断測量業務成果品(2)(21.0k横断図」であると説明されています。

閉じかっこが抜けていることは前記のとおりですが、他にも誤記があります。

正しくは、「H23鬼怒川下流部定期縦横断測量業務成果品(21.0k横断図)」です。根拠は、下図(関東地方整備局長から支援者あての行政文書開示決定通知書の抜粋)です。

H23鬼怒川下流部定期縦横断測量業務成果品(21.0k横断図)

「横断測量業務」ではなく、「縦横断測量業務」です。

「成果品(2)」ではなく、「成果品」です。

当然のことながら、証拠説明書(甲34〜43号証)及び「原告の訴状、準備書面の図(グラフ)の作成についての報告書」のうちの甲40の文書名に関する記述にも同じ誤りがあります。

●「同図」が別の図を指している

「同図」の使い方が理解できません。

「図9は、鬼怒川左岸21H地点の堤防の詳細横断図である(甲40号証「H23鬼怒川下流部定期横断測量業務成果品(2)(21.0k横断図」は2011年度の鬼怒川左岸21H地点の堤防横断図であり、同図には横断方向の各地点の高さの値が記されており、同図はこの値に基づき作成した)。」(原告ら準備書面(8)p28)と書かれています。

「同図」が2回出現します。

最初の「同図」は「21.0k横断図」を指しており、後の「同図」は「図9」を指していることは、何度も読み返せば想像がつきます。

しかし、「同」とは、「前に挙げた語句を受けて、「この」または「その」の意で用いる語。」(デジタル大辞泉「同」)であり、法令文では、「最も近い場所」に表示された語句を表示する場合に使われます。(根拠は、ほうれいくんというサイト)

準備書面は法令文ではありませんが、正確性を重視し、誤解の起きないように書くべきものですから、法令文に準じた書き方をするのが筋だと思います。

したがって、上記の2箇所の「同図」は、どちらも横断図を指すことになってしまい、前の「同図」が図9を指すとは読めません。

なお、原告側は、「(21.0k横断図」は2011年度の鬼怒川左岸21H地点の堤防横断図であり)と言いますが、21.0k横断図は、下図のとおり、鬼怒川21.00kでの「河川横断図」であり、左岸の「堤防横断図」ではありません。

河川横断図

●「堤防高の測量は天端表法肩で行われており」と言えるのか

原告側は、「堤防高の測量は天端表法肩で行われており、図9で明らかなように、左岸21Hの測量結果である堤防高Y.P.21.04mは、川表側の盛土されている箇所での測量結果である。」(原告ら準備書面(8)p29)と言います。

この文章は、何が言いたいのかが明確ではありません。

次の二とおりに解釈することが可能です。
(ア) 定期縦横断測量における堤防高の測量は、本来は天端表法肩で行うことになっているにもかかわらず、2011年度のL21.00kの測量では、川表側の盛土されている箇所で堤防高が測量されており、適法な測量がなされなかった。
(イ) 定期縦横断測量における堤防高の測量は、本来は天端表法肩で行うことになっており、2011年度のL21.00kの測量でも、川表側の盛土されている箇所で堤防高が測量されており、天端表法肩で測量されたと評価できるので、適法な測量がなされた。

要するに、「堤防高の測量は天端表法肩で行われており」が、一般論として、そういうルールになっている、という規範の話をしているのか、実態の話をしているのか分からない表現になっています。

裁判所はどのように受け取るのかを考えると、(イ)の意味だと受け取ると思います。

その理由は、一つには、(ア)の意味で主張するなら、「行うことになっているが」とか「行うことになっているにもかかわらず」とかの逆接の意図を明示した表現にするはずだということです。

WURKというサイトの「しており」の意味と敬語の種類、使い方、英語を例文つきで解説というページにしており」の例文が次のように示されています。

・息子もクラブ活動に興味を示しており、来年がくるのを楽しみにしています。
・最善を尽くしておりますが、現状は悪化するばかりです。
・食事もきちんととれており、体調は回復に向かっています。

上記の用例からも、「しており」に続く文章は、前の文章の内容と反しないのが通例です。

「最善を尽くしており、現状は悪化するばかりです。」と言う人はいないでしょう。

「しており」は、文法的には接続詞ではありませんが、実際には、順接の接続詞のように使われていると思います。

そうだとすると、「行われており」の前後の文章が相反することはないと受け取るのが普通の感覚であり、「行われているにもかかわらず」の意味で「行われており」を使うことはできないはずです。

二つには、原告側は、堤防高の測量の仕方がそもそも適法でなかった、と主張していないことです。

(イ)の意味であるという前提で考えると、L21.00kの「堤防高」を盛り土の頂上で測量したことが「堤防高の測量は天端表法肩で行われており」となぜ言えるのか私には分かりません。

原告側は、「堤防の天端の表法肩」と「盛り土の天端の表法肩」は同じだと考えていることになります。

しかし、そのように考えることは、堤防高を高くする改修方法として、かさ上げ工事をすることなく、距離標地点付近の堤防天端の川表側に盛り土をする方法を是認することになってしまいます。

しかし、連続しない盛り土に越水を防止する効果がありませんから、盛り土の頂上で堤防高として扱うことを是認することはできないはずです。

原告側は、「堤防高の測量は天端表法肩で行われており」と言っており、その意味がL21.00kの堤防高が適法に測量されているということであれば、堤防沈下が激しい場所では、盛り土をして堤防高を操作することを是認することになり不当です。

●堤防測量の根拠条文も示さない無関心ぶり

「堤防高の測量は天端表法肩で行われて」いることが適法か否かは、根拠条文と照らし合わせて判断するしか方法がないのですが、原告側は、「堤防高の測量は天端表法肩で行われており」と言うだけで、河川堤防の定期測量の根拠条文さえ示そうとしません。

「堤防高の測量は天端表法肩で行われて」いることが適法か否かに関心がないことになります。

測量法以下の関係法令は、決壊地点の堤防の舗装面の高さは計画高水位以下だった(鬼怒川大水害)で検討しましたので、繰り返しません。

被告は、河川定期縦横断測量業務実施要領・同解説で1997年版と2018年版の新旧対照表を証拠(乙52)としてわざわざ提出してくれているのですが、原告側は見向きもしません。証拠としての価値はないという認識です。

少し掘り下げて考えると、原告側のこうした認識の根底には、堤防の異常な形状を是認してしまうことがあると思います。

上下流あるいは対岸の堤防と整合性のない異様な形状の堤防を、「そんな形の堤防もアリだよね」と認めてしまえば、「天端の出っぱった部分の頂上を堤防高とする扱いもアリだよね」という認識に至るのも必然だと思います。

しかし、堤防断面に整合性が必要ないという考え方だとすると、後記のとおり、2002年度河川堤防設計指針に反します。

●相手に1cm又は2cmサービスした

原告側は、「又、天端の本体というべきアスファルト舗装されている箇所は、この部分よりも約30cm低く、平均でY.P.20.75mであり、計画高水位Y.P.20.83mを8cm下回っていた。」と言います。

しかし、原告ら準備書面(8)の添付図9は下図のとおりであり、舗装面の最も高い部分は20.75mであり、最も低い部分は20.73mですから、平均で20.74mです。

したがって、平均で20.74mと主張すべきところを、平均で20.75mと言ってしまうことは、相手に1cmサービスしていることになります。

つまり、舗装面の平均値で考えると、舗装面が計画高水位より9cm(=20.830m―20.74m)低かったと言えたのに、8cm(=20.830m―20.75m)低かったと言ってしまったことになります。

原告側は、「平均で」と言いながら、最大値を挙げているのですから、裁判所は理解できないと思います。

ちなみに、下図において、あるべき堤防高の値を舗装面の高さの平均値と考えることが妥当とは思えません。

「河川定期縦横断測量業務実施要領・同解説」では、堤防高は、「堤防の表法肩において測定する。」と決めています。表法肩が天端面で最も低い地点であっても、関係ありません。下図では、表法肩の部分には盛り土が乗っていて、表法肩の地点を確定できません。したがって、舗装面のうち、表法肩に最も近い部分の20.73mを下図における堤防高として議論すべきだと思います。

2011年度のL21.00kの堤防高が20.73mだとすると、計画高水位20.830mよりちょうど10cm低かったことになります。

堤防高を天端面の高さの平均値とする考え方は、「河川定期縦横断測量業務実施要領・同解説」を無視する考え方だと思います。

要するに、原告側は、下図において、あるべき堤防高はどの地点なのか、という観点から議論しているのではなく、L21.00kにおける「堤防高」とは盛り土の頂上の高さ(21.040m)であることを前提とし、舗装面の高さを、基準もなく論じているのだと思います。基準がないから、平均で言っておけば無難(反論が出ない)だろうと考えたのかもしれません。反論が出ない、という観点も必要だとしても、筋論としてどうなるのか、という観点も必要なはずです。

いずれにせよ、舗装面の高さの平均がなぜ20.75mになるのか分かりません。

誤記だとすれば、平均値を基準とした場合は1cmだけ、そして、あるべき堤防高を基準とした場合は2cmだけ、相手に有利な主張をしたことになります。

堤防横断図)

●「HWL の付近の1cm、2cmは、ものすごく安全に影響してくる」

1cmや2cmくらい被告に有利な主張をしてもどうってことないじゃないか、と考える人がいるかもしれませんが、元建設省河川局長の近藤徹は「治水哲学の転換期」(2008年)という講演(聴衆は河川官僚だと思われます。)で、「つまり、たかが1cm、たかが何センチっていいますが、HWL の付近の1cm、2cmは、ものすごく安全に影響してくる。破堤確率を増大させているってことであります。」(p9)と言っています。

ただし、「例えば、1kmが1000 回に 1 回しか破堤しない0.999という堤防があり、余裕高が2m50cmで天端までくると 2 回に 1 回破堤で信頼度が0.5だとします。」という仮定の下での議論であり、この仮定が適切なのかは私にはよく分かりません。

したがって、近藤の話によれば、計画高水位付近の堤防高の1cmくらいの違いはどうだっていいことだ、とは言い切れないことになります。

【不思議なバランス論】

近藤の講演に触れたついでに書くと、近藤は、上記講演で、「上下流のバランス論ですが、この例を申し上げますと、水害裁判をやった人の経験ではわかると思いますが、上流であふれて川に入らず下流まであふれてきた水は誰もがしょうがないねと、不可抗力だといってくれます。」(p10)と言います。

鬼怒川大水害がまさにその例であり、上流で溢れて川に入らず下流まで流れて、約40km2が浸水したのですが、被害者は、不可抗力だと考えないからこそ提訴したのです。

なぜ、「誰もがしょうがないねと、不可抗力だといってくれます。」ということになるのか理解できません。

「誰もが」とは、裁判所を指すように思います。なぜなら、「水害裁判をやった人の経験ではわかると思いますが、・・・しょうがないねと、不可抗力だといってくれます。」と言っているからです。

そうだとすると、水害裁判になって、上流で氾濫した水が下流を浸水させても、裁判所は、管理者側を勝たせてくれるから、河川整備は下流からやっておけば責任を問われることはないからそうしなさい、と言っているようなものです。

河川業界の泰斗にそう言われたら、実務で下流原則が金科玉条になるのは当然だと思います。

河川管理者には、妙な思い込みがあるのではないでしょうか。

下流から整備していけば、上流で破堤しても誰も文句は言わないはずだ、という思い込みが。

氾濫域を同じくする地域では、破堤する危険の大きな箇所から整備することが、被害を最小化するためには必要なことだと思います。

ここでも下流原則にこだわると、下流での破堤は防いだが、上流で破堤して、上流も下流も浸水するという最悪の結果を招くからです。

下流原則にこだわった結果が鬼怒川大水害です。(被告は常に下流から整備したわけではなく言行不一致なのですが、全体として見れば、2015年までに、27kより下流の区間では、20kより下流を優先して整備を実施し、20kより上流の区間で堤防整備を完成させたケースは、ただの1件もないのですから、その意味で、被告は、下流原則に強くこだわっていたと言えます。だから、鬼怒川大水害訴訟では、下流原則が主戦場となる可能性が大きいと思いますが、原告側は、下流原則に一般論としては「異論はない」(原告ら準備書面(8)p34)と言い、下流原則を争う考えはありません。)下流原則は、地形や背後地の状況を無視し、費用対効果を無視した原則です。

それでもなお下流原則が重視された理由は、1箇所の氾濫域が広大で、上流での氾濫が下流の大規模浸水に直結するような地形は少ないこと、逆に言えば、上流の氾濫は一定の範囲で完結する場合が多いこと及び一般に下流域は上流域よりも人口・資産の集積が大きいことから下流優先原則は費用対効果にも資するという思い込みが通念となっていたことだと思います。


原告側はL21kの堤防天端の盛り土の高さが「約30cm」だったと主張した(鬼怒川大水害)その1
原告側はL21kの堤防天端の盛り土の高さが「約30cm」だったと主張した(鬼怒川大水害)その2
原告側はL21kの堤防天端の盛り土の高さが「約30cm」だったと主張した(鬼怒川大水害)その3

(文責:事務局)
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