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推計人口は国が地方に配分する

2005-3-28

鹿沼市は、1976年に1985年の鹿沼市の計画人口を10万人と決定しました。 そのことについて、 山下和男企画調整部長は、 1976年6月21日の鹿沼市議会において、小林倭文雄(しずお)議員の質問に対して次のように答弁しました。

「ちなみに現在、国で国土計画というものをつくっておりますけれども、この秋ごろ詰め上げるという予定だったのですが、最近の新聞によりますと、さらに経済の見通しが困難で来春になると、このような話でありますけれども、それを詰めます過程では、例えば、栃木県の中央地帯で97万人の人口の配分と申しましょうか、国ではそういう一つの計画がございました。

結果的に先日発表になりました栃木県の総合計画の中央地区の人口は、(昭和)60年(1985年)で83万人でございます。現在から約30万人増えると。栃木県の中央地区と申しますのは、3市10町1村でございますけれども、国では97万、表現はおかしいですけれども、「受け持ってもらいたい」と、しかし、その場合、鹿沼市の人口は、実は14万7,000という数字があったのですが、結果的には国が83万という数字を発表したと。

発表したと言いますことは、実は今回の国土計画のつくり方、非常に従来と違った点がございました。従来は、国が全く一方的に計画をつくっておりました。今回は、国はかなり県の意向を聞いて定める、こういう仕組みをとりまして、県と国の間にヒアリングがあったようでございます。

その過程で、栃木県の考える83万という数字が、どうやら発表された数字を見ますと通ったと言いましょうか、国との間に一つの了解点に達したと、こういうことで、あの数字が出たのだろうと思います。

そしてあの83万の積み上げの中には、鹿沼市は、実は、この間、全員協議会で申し上げました9万2,000ぐらいの数字が、あの83万の鹿沼市の人口の積み上げになっております。私ども敢えてそれを10万とご提案申し上げましたのは、先日ちょっとご説明いたしましたし、また、人口設定のところの構想を十分お読みいただければ、その意味がご理解いただけるのではないかと、このように考えております。」

●科学的な推計になるはずがない

鹿沼市の人口推計は、国や県から配分された数字に合わせてつくられていたというわけです。人口推計は、自治体が独自の判断でやるのかと思っていましたが、 ”上”から降りてきた数字に合わせるつまり、結論が先に決まっているのですから、科学的な推計になるはずがありません。

自治体の推計結果を積み上げていったら、日本の総人口は2億とか、とんでもない数字になってしまうので、上限を国が決めるという意味だとしたら、悪くない仕組みかもしれません。

しかし、上記のように、栃木県が「1985年に県央で83万人程度」と推計しているのに、「97万人になるだろう」と国から押し通され、その結果、鹿沼市の推計人口が14万7,000人というとんでもない数字になった可能性もあることを考えると、やはり人口推計の中央集権、上からの押しつけは間違っていると思います。

●合併後の鹿沼市人口も割り当てか

鹿沼市は、粟野町との合併後の人口を2015年に108,700人と過大に推計していますが、これも単に鹿沼市の推計が甘いというだけでなく、国や県からの配分やら割り当てやらがあるのかもしれませんね。

ちなみに1975年の鹿沼市人口は81,799人でした。1985年の鹿沼市の人口は88,078人で、10万人はおろか、92,000人にも達しませんでした。これは、山下部長の見通しが甘かったというわけではなく、彼が、当たらないと分かっている推計をせざるを得ない立場に置かれていたということでしょう。

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