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東大芦川ダムその他のダムその他の話題

東大芦川ダム

●東大芦川ダム計画は一応中止になった

福田昭夫栃木県知事は、2003年7月30日の記者会見で東大芦川ダムについて中止の方針を表明しました(栃木県のサイトの記者会見記録を参照。東大芦川ダムの概要については、その中の記者会見資料(2)を参照)。その後、栃木県公共事業再評価委員会の答申を経て、知事は、2003年9月10日の記者会見で東大芦川ダムの中止を表明しました(栃木県のサイトの記者会見記録を参照)。知事の中止判断に至るまでには、地元西大芦地区の住民が知事の諮問機関である大芦川流域検討協議会の委員となり、大変な奮闘をされました。もし、西大芦地区の住民ががんばらなかったら、知事の中止判断は得られなかったかもしれません。

●中止の理由が問題

計画の中止という結論自体は歓迎すべきものですが、理由が問題です。治水については、2003年7月30日の記者会見で「段階的な河川改修で治水安全度の向上が図られること」(記者会見資料(1))を理由としていますので、ダムの必要性を否定していますが、利水については、「思川開発事業によって 一定の対応が技術的に可能であると考えられること」(記者会見資料(1))を理由としています。つまり、利水については、思川開発事業(南摩ダム)の完成を前提として東大芦川ダムが不要だとしています。

したがって、南摩ダムが中止になれば、南摩ダムで鹿沼市の水道用水の需要に対応できないという理由で東大芦川ダム計画は復活する可能性があります。(逆に、南摩ダムが完成しても、後述のように補完ダムがないと南摩ダムに水がたまらないという理由で、東大芦川ダム計画が復活する可能性があります。)

結局、南摩ダムが中止になっても完成しても東大芦川ダム計画が復活する余地を残しています。

●ダムによる利水は必要ない

国土交通省が作成した資料には、「東大芦川 ダム建設事業 」の中止の理由は、「治水・利水上の必要性はあるが、ダム完成が大幅に遅れ、治水・ 利水計画に支障を来す」からと書かれており、大芦川流域検討協議会での議論が全く反映されていません。国は、治水・利水上の必要性を未だに全く否定していないのです。必要性を認めているということは、財政に余裕があれば予算を獲得してダムを造る可能性を残しているということです。

知事の中止判断の前提として、大芦川流域検討協議会で約1年半議論しましたが、推進派の委員は、ダム建設の合理的な根拠を提示することができませんでした。特に、利水については、栃木県の予測でも、鹿沼市の人口は2030年には約92,000人に減るとされ、計画の破綻が明らかになりました。

鹿沼市の水需要が増えないことが明らかになったにもかかわらず、栃木県が鹿沼市のダムによる利水の必要性を否定せず、「鹿沼市は南摩ダムからの表流水を取水すればいい」という代替案を提示したことは不当であると考えます。

●東大芦川ダムは南摩ダムの補完ダムである

鹿沼市の治水や利水のために東大芦川ダムが必要かどうかに関係なく、東大芦川ダム計画が復活する可能性もあると考えます。なぜなら、東大芦川ダムは南摩ダムに効率よく水をためるための補完ダムと考えられるからです。南摩ダムを建設しても水がたまらなければ、目的を正々堂々と「南摩ダムの補完ダム」として東大芦川ダム計画が国営ダム計画として復活する可能性はあると考えます。

●東大芦川ダムは南摩ダムの補完ダムであると考える理由(その1)

南摩川は小川です。思川開発計画では、年間導水量は、黒川から約1,000万m3、大芦川から約2,000万m3ですから、合計で約3,000m3。南摩ダムの利水容量4,500 万m3に遠く及びません。その差約1,500万m3を南摩川の水をためることで埋め合わせることはできません。なぜなら、南摩川の年間流量は、年間約1,000万m3にすぎないからです。

東大芦川ダムを前提としない導水計画では、南摩ダムに水はたまりません。このことについては思川開発事業を考える流域の会が水収支の計算を行っています。南摩ダムに水をためるには、どうしても東大芦川ダムを建設して、年間2,000万m3を超えて大芦川から導水する必要があります。

●東大芦川ダムは南摩ダムの補完ダムであると考える理由(その2)

1997年1月28日に、水資源開発公団(現・水資源機構)の思川開発建設所の井上克彦所長(当時)が「将来的には南摩ダムと東大芦川ダムを公団が一括管理することになるだろう」と明言しました。

●東大芦川ダムは南摩ダムの補完ダムであると考える理由(その3)

東大芦川ダムの目的は、当初不明でした。東大芦川ダム計画は、1973年に予備調査が始まり、1983年に栃木県が実施計画を作成しました。「東大芦川ダムの目的が記載された文書で最も古いもの」を県に情報公開請求すると、県は1983年の実施計画を出してきます。ダム計画においては、本来、予備調査開始の時点においても、ダムの目的がなければなりませんが、東大芦川ダム計画の場合、10年間の予備調査期間における東大芦川ダムの目的を河川課職員(諏訪氏)に尋ねても「分からない」という答えしか返ってきません。これらのことから、東大芦川ダムが南摩ダムの補完ダムであることを県が隠そうとしていると見ることもできます。

●東大芦川ダムは南摩ダムの補完ダムであると考える理由(その4)

思川開発事業は類例の少ない特殊なダムで、関係河川からの導水と関係河川への補給が一体となっています。水資源開発公団発行のパンフレット(1999年11月作成)には、「大芦川への補給は栃木県が建設する東大芦川ダムより行う計画となっています。」と書かれています。南摩ダムは、東大芦川ダムからの補給なしには成り立たないダムなのです。

●東大芦川ダムは南摩ダムの補完ダムであると考える理由(その5)

2003年3月11日の鹿沼市議会において、田野井政夫議員は、次のように福田知事を批判します。

「一方では、ご自身が、大きくかかわった今市大谷川分水中止を前提にした南摩ダム参画を決断し、南摩ダムへの市内2河川からの取水を是認し、東大芦川ダムからの補給水を棚上げしたことは、物言わぬ東大芦川地区住民に補給水なしの取水という課題と不安だけを押しつけている現状があるのは受け入れ難いことであります。私たち東大芦地区住民は、穏やかな県民であります。その県民に補給水がない場合の南摩ダムへの取水は認められないと言わせるがごとき県政に、強い不信感を禁じ得ません。」

「東大芦川ダムからの補給なしに大芦川から南摩ダムへの取水は認められない」と言っているわけで、導水と補給とがセットになっているという認識が田野井議員にはあります。

●東大芦川ダムは南摩ダムの補完ダムであると考える理由(その6)

上記質問に対する鈴木義夫企画部長の答弁は、次のとおりです。

「南摩ダムへの取水についてでありますが、本来大芦川への補給水は東大芦川ダムが担うことになっており」
「一方、知事が参画表明をされた思川開発事業の現行計画では、大芦川から南摩ダムへ取水することにはなっておりますが、先ほど申し上げたとおり、大芦川への補給水は東大芦川(ダム)が担うもので、南摩ダムから大芦川への戻し水の計画はありません。このような大芦川への補給水や戻し水の約束がなされていない不安定な現時点において、南摩ダムへの取水のみを先行することにつきましては、東大芦地区住民の不安、不利益を考えるとき、本市としても容認するわけにはまいりません。」


鹿沼市の執行部も導水と補給とがセットであるという認識を持っています。

●南摩ダム計画は消滅するか

特に鹿沼市民でダムに関心のある人にとって、市執行部や議員同様、大芦川から南摩ダムへの導水と東大芦川ダムから大芦川への補給がセットであるということは、共通認識となっていると思います。
考え方が分かれるのは、ここから先です。
「大芦川への補給機能を担う東大芦川ダムが2003年9月に中止になったのだから、南摩ダム計画は成り立たなくなり、中止せざるを得ない」という楽観論と「南摩ダムが建設された後で、ダムに水がたまらない、あるいは大芦川からの導水によって大芦川下流域への影響が大きいとの理由で、やはり補完ダムとして東大芦川ダムが必要だという事態になる可能性がある」という悲観論に別れます。
悲観論に対しては、「ダムを造る側は恥も外聞もなく、そこまでやるのか」という疑問が投げられますが、「生活のためにはそこまでやるだろう」と思わせる根拠はいろいろあります。

●ダム計画はしぶとい(その1)

これまでに、日本で貯水容量100万m3以上のダム計画は63事業が中止になったものの、ダムを推進する勢力は、そう簡単にダム計画をあきらめません。例えば、愛媛県の肱川に計画されていた山鳥坂(やまとさか)ダムは、2000年に与党からの中止勧告があった計画です。この勧告は必要性がないことについて衆目の一致する事業に対して出されたものでしたが、国は、利水目的を失っても、治水目的だけでも何とか建設してしまおうと今なお画策しています。詳しくはヒジカワドットコムをご参照ください。

●ダム計画はしぶとい(その2)

福井県の足羽川ダム計画も1997年9月に足羽川ダム建設事業審議委員会が「水没戸数の多い現行立地での計画推進は適当と認めない」と国に答申すると、国は、2002年7月に部子川のダムサイトを足羽川ダムとして、延命を図っています。詳しくは足羽川ダムに関する国のサイトをご参照ください。

●ダム計画はしぶとい(その3)

淀川水系流域委員会は、2003年1月17日に淀川流域の河川管理者(国土交通省近畿地方整備局)に原則的にダム建設を不要とする「提言」を提出しましたが、近畿地方整備局は、同年9月5日、これを無視するような形でダム建設に固執した「淀川水系河川整備計画基礎原案」を提示しています。

●ダム計画はしぶとい(その4)

群馬県営倉渕ダムも「死んだふり」でした。

2005年12月27日付け毎日新聞によると、このダムは2003年12月県議会で小寺弘之知事が「当分の間、本体工事の着手を見合わせる」と表明しました。しかし県は「凍結は一時的で事業自体は継続する」として、その後も調査費などを国に予算要求しています。

●東大芦川ダム中止に伴う代替案への鹿沼市の対応について鹿沼市長に抗議する

ダム反対鹿沼市民協議会は、2004年11月24日、ダム中止受け入れの見返りに地域整備事業を栃木県に求める鹿沼市長に対し、抗議文を提出しました。

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