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このたび、鹿沼市は、2001年に鹿沼市が南押原地区で地元議員と自治会役員を対象に実施した水道事業説明会の会議録(5ページ、PDFファイル340KB)を全面公開しました。以下に経過と感想を記します。
鹿沼市水道事業第5次拡張計画(1995年度策定)における供給計画は、「東大芦川ダムからの表流水16,200m3/s」と「南押原地区の地下水源(井戸は3本)11.100m3/s」でした。
阿部市長は、ダム水の確保については西大芦地区の自治会活動に平然と干渉する(各自治会がダム建設の是非について判断する時期を延期するよう要請する文書*(PDFファイル100KB)を参照)など果敢に自治会への働きかけを行う一方で、新規地下水源の確保についてはどの程度の努力をしているのでしょうか。
*ちなみにこの文書では、「地下水調査を実施すれば、鹿沼市がどれだけ地下水を使えるのかがはっきりするから、調査の結果が出るまで自治会でダム建設の是非について判断するのを待ってほしい」という意味にしか受け取れないような内容が書いてありますが、実際に2001年度から2003年度までに実施された地下水調査では、「鹿沼市がどれだけ地下水を使えるのか」について書かれていません(「鹿沼市地下水調査の問題点」参照)。
私たちは、2004年1月29日に鹿沼市長に対し「市は、南押原地区の地下水源確保のために地元住民とどれだけの協議や交渉をしてきましたか。1999年度以降に南押原地区住民と行ったすべての協議や交渉の日時、場所、相手方を示してください」(「流域の会」のホームページ参照)という公開質問をしましたが、市長はこの点について回答しませんでした。
仕方がないので、2004年5月24日、ダム反対鹿沼市民協議会の会員が「南押原地区に存在する日量11,100m3の地下水源を確保するための努力を市がしていることを示す文書(2000年度以降)」という件名の情報公開請求をしました。
市長は、2004年6月3日付け情報部分公開決定通知書により南押原地区水道事業説明会の会議録の一部(3ページ、PDFファイル556KB)を公開しました。
説明会は、3回実施され、1回目は市議会議員、2回目は議員と自治会長、3回目は議員と自治会役員を対象に開かれたようです。しかし、ご覧のとおり、質疑の部分などが墨塗りです。
仕方がないので、会員は、公開できる範囲はもっと広いはずだとして2004年6月28日に情報公開不服申立書を市長に提出しました。
市長は、鹿沼市情報公開・個人情報保護審査会(会長 杉原弘修宇都宮大学教授。以下「審査会」という。)に諮問しました。部分公開にした理由について、市長は審査会に「仮にこの計画が地元に受け入れられた場合に、事業を実施する上で用地買収等に係る権利者との折衝に大きく影響を与える。この計画は、まだ継続している」などと主張しました。
審査会は、2005年1月19日付けで公開の範囲を拡大するよう答申し、市長は、答申に基づき翌20日付けで部分公開決定を取り消し、会議録の全部を公開しました。それが冒頭に掲げた文書です。公開まで8か月かかりました。「情報公開制度の一層の推進」を公約として当選した阿部市長は、鹿沼市情報公開条例により当然公開しなければならない文書の公開を8か月も引き伸ばしたのです。
会議録を一読しての印象は、「交渉の余地あり」ということです。地元の自治会役員らは、取水を絶対に認めないとは言っていません。なぜ、市長は、地元との協議や交渉を突然中断してしまったのでしょうか。実に不可解です。
水道部長は、市長が言っている「市民とともにつくる市政」の一つであるとして説明会を今後も開催していく意気込みを見せていたのに、2001年9月11日を最後に鹿沼市は地下水源確保の努力をやめてしまいました。一体何があったのでしょうか。水道部長に地下水源確保の努力をやめろと命令できるのは阿部市長しかいません。
現実には地下水の取水計画を放棄していながら、審査会に説明するときには、「この取水計画は、まだ継続している」と言い、取水計画が継続していることを情報を公開しなかった理由にするのは、ご都合主義というものではないでしょうか。
取水計画が継続しているなら、計画を遂行すべきだし、計画を中止したのなら、その理由を市のホームページや「広報かぬま」で説明すべきです。
ダム反対鹿沼市民協議会の会員が2004年6月28日に「鹿沼市が南押原地区の地下水源確保のための努力を2001年10月以降やめた理由が記載された文書」の公開を求めましたが、「不存在」を理由に非公開とされました。もはや、阿部市長自らの口から、地下水源確保の努力をやめた理由を語っていただくしかありません。
最初に戻りますが、市長は、ダム反対の動きに対しては自治会への不当な干渉まで行なってその動きを封じようとするのに、地下水源の取水反対の動きに対してはあっさり引き下がってしまうのはどうしてなのでしょうか。
鹿沼市は、水道用水の不足がそれほど深刻なら、かつて、ダム反対署名活動に対抗して鹿沼市自らがダム推進署名活動を企画立案し、主催したように、鹿沼市自らが南押原地区で取水賛成の署名活動を主催してでも地下水源の確保に執念を燃やしてもいいはずです。鹿沼市が地下水源確保をあきらめた背景にどのような事情があったのでしょうか。阿部市長には、それについても語っていただきたいと思います。
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